「自分自身を再生したいという思いも強かったですね」
かつては企業や商品の広告をいくつも手掛ける売れっ子デザイナーだった。しかし、景気が悪くなると状況は一変。仕事、人間関係・・・・・・あらゆるものが壊れていった。「デザインの在り方を変えなければダメだ」。行き着いたのがumieだった。
「今では店自体がお客さんのものになった感覚です」。オープンから間もなく15年。県内外から人が集う人気店に育ったumieと共に、柳沢さんは第二のデザイナー人生を歩んでいく。
廃倉庫に一目ぼれ
廃倉庫の一室に足を踏み入れた瞬間、一目ぼれした。実は翌日には、既に仮押さえしていた別の物件と本契約を交わす予定だったが、急いでキャンセルした。2001年、こうしてカフェ「umie」はスタートを切った。
「使われていなかったものに、別の人間の思いや温もりでもう一度命が宿る。それまでやっていたデザインの仕事とは全く違う考え方でした」
umieの開店準備で倉庫街を散策すると、身近に素敵なものがたくさんあることに気がついた。壊れたバイクの部品を店の灰皿にし、捨てられようとしていた机やイスもかき集めた。自分が乗っていた古い車のシートはソファにした。「飲食業というのはこうだという既成概念にとらわれず、自分が本当に心地いいと思える場所を作りたかったんです」
古い倉庫街に生まれたレトロなカフェは話題となり、今では老若男女を問わず年間約5万人が訪れる人気店になった。音楽ライブや作家のワークショップも定期的に開かれ、北浜地区のにぎわいづくりに一役買っている。しかし、柳沢さんはこう話す。
「成功するとかしないとかは関係ありませんでした。当時の私は、前を向くしかありませんでしたから・・・・・・」
デザインとは何なのか
瀬戸大橋の開通に合わせてオープンした高級食材を扱うレストランでは、欧米風の広告やメニュー構成を手掛けた。若者に人気だった高松市中心部のカフェでは広報宣伝などのデザインを全て任され、東京の自由が丘や中目黒にも出店させたり、米進出を計画してニューヨークやロサンゼルスを視察したりした。「当時はイケイケでした。デザインとは爆発的なヒットを生み出し、それが東京や海外でも通用するのだと思っていました」
しかし、バブルの崩壊で全てが変わった。「自分ではどうすることも出来ない状況に追い込まれることがある。それを初めて知りました」
スポンサーと意見が合わなくなったり、仕事が激減したりした。「おしゃれなデザインなんて必要ないんだよ」と言われたこともあった。やがて、周りに人がいなくなった・・・・・・。
「今思えば企業目線の、これでどうだ、という威圧的なデザインが多かったかもしれません」と柳沢さんは振り返る。「結局は上から仕事が流れてくる環境の中に居ただけでした。景気が悪くなると使われなくなる。自分が好きだったはずのデザインに何の価値も無かったのかと思うと、とても悔しかったですね」
デザインとは一体何なのか。仕事も手につかない日々が長く続いた。「景気や流行に左右されず、今自分に出来ることをやろう」。そう決意して始めたのがumieだった。
オープン当初は客が一日数人の時もあった。でも、お客さんとの会話は楽しく、いろんな発見があった。自由にくつろいでいる様子を見るのもうれしかった。「デザインに対する考え方ががらりと変わりました。独りよがりではなく、お客さんに寄り添い、お客さんの目線でデザインしなければダメだと気づかされました」
かつて手掛けていた仕事は一つの物件で数百万円を超えることもあった。でも、umieでは一杯500円のコーヒーを売る。「500円を稼ぐために何をしなければならないのか、仕事やお金の価値を知る貴重な経験でした。それをずっと忘れずにいたいと思います」。コーヒーを一杯いれるのもけっこう大変なんですよと柳沢さんは笑う。
デザインで筋道をつける
三豊市ではマンゴー農家をデザインしている。店舗デザインや商品開発、包装紙のリニューアルのほか、果樹園にカフェを作ることも提案した。「お客さんがこうなりたいと思う姿に繋がるよう道筋をつけていく。それが私の今の仕事です」
カフェが出来た時、果樹園のオーナーが「こういうことをやりたかったんだ」ととても喜んでくれた。カフェの周りに植樹する計画を立てたら、まだ時期が早いと言っているのにオーナーが次々と木を植え始めた。「そのくらい人を動かす力がデザインにはあると思うんです。感動したり、やる気を生み出したり、人生を変えてしまうことだってあります」
今後、どうしてもやりたいことがある。バブルがはじけて仕事が無くなった頃、柳沢さんにはもう一つのとてもつらい出来事があった。長年、アシスタントとして支えてくれていたスタッフが病気で亡くなったのだ。まだ20代の才能ある女性だった。「私の分も頑張って、と彼女に言われている気がするんです」。現在デザイナーを取り巻く環境は厳しく、若手が育たなくなっている。「私が40年かけてやってきたことを最短距離で教えて、一緒にやっていきたい。若いデザイナーをこの地域から育てることが私の次の目標ですね」
◆写真撮影 フォトグラファー 太田 亮
柳沢 高文 | やなぎさ わたかふみ
- 1954年 長野県生まれ
関西のデザイン専門学校を卒業
高松市の広告代理店に勤務後、フリーに
1996年 柳沢広告制作室 設立
2001年 ドリームネットワークアクティビティに社名変更
umie オープン
- 写真
有限会社ドリームネットワークアクティビティ
- 住所
- 高松市北浜町5-5 4F・5F
TEL:087-897-4148
FAX:087-897-4149 - 事業内容
- 企業・商品等のブランディングデザイン、
ホームページ構築プラン・デザイン、
販売促進、店舗・展示会等の空間デザイン、
ワークショップ・音楽ライブ等のイベントプラン 他 - 確認日
- 2018.01.04
umie
- 住所
- 高松市北浜町3-2 北浜alley-h
TEL:087-811-7455
FAX:087-811-7456 - 確認日
- 2018.01.04
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