もう晩秋ですが、「父帰る」(菊池寛)から秋を感じる一節を引きました。高松市内には菊池寛の生家跡があり、その少し先の交差点付近には「父帰る」のワンシーンを再現した銅像が置かれています。小豆島には「二十四の瞳」(壷井栄)の映画村があり、作品に描かれた瀬戸内海の島の情景が今なお美しく残されています。「暗夜行路」(志賀直哉)には多度津や琴平などの描写があり、金刀比羅宮へ向かう参道脇には、その下りが刻まれた石柱が建てられています。明治から昭和にかけてのレトロな文学の香り漂う香川は、訪れる人々に趣深い風情を感じさせてくれます。
こちらに来て半年になりますが、県外から赴任した拠点長と共に、各地を散策して見聞を広めています。先日、白山駅から県道を東に向かい長尾寺まで歩く途中、磯禅師のお墓の跡を通りました。源頼朝に追討される義経と愛妾の静御前、その母磯禅師にまつわる歴史の悲話が思い浮かび、心の琴線に触れる瞬間でした。屋島近辺では源平合戦の地を巡ることができ、解説の書かれた案内板が置かれています。那須与一が波間に浮かぶ舟に置かれた扇の的を射たと伝わる場所は、もはや矢の放たれた先が海だったのか分からない状態になっていますが、中世のロマンに思いを馳せられる数々の史跡は香川の誇るべき観光資源です。
さて、冒頭に引用した「父帰る」では、放蕩親父が妻子を残して家を出て、散々苦労をかけた挙句、家に戻るのですが、父に再会する家族の態度が微妙に異なるのが、この話の面白さでもあります。いつだったか子どもの頃にこの作品を読み、明治の時代背景があるにせよ、身勝手な親父にただ呆れたのを覚えています。ところが、今あらためて読むと、単身赴任の自分がこの親父と重なり、東京の自宅へ帰省するたびに妻や息子、娘からの迎えられ方が気になるようになりました。ほこりをかぶった文学や歴史の記憶を新たにしてくれる香川の魅力に、私は虜になっています。
日本銀行高松支店 支店長 大塚 竜
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