例えるに四国は一つの水がめ

四国なんでも88箇所 巡礼推進協議会会長 佐藤 哲也

column

2016.09.01

今年は台風の発生が少ないようですが、そうなると毎年のように「早明浦ダムは大丈夫か」の声がどこからともなく聞こえてきます。

旧大川村役場の屋上が湖面に姿を現した途端にアフリカの大干ばつ被災地のように扱われ、四国島外の人は、次の台風が来るまで香川県人は風呂に入れないだとか勝手に心配してくれますが、大きなお世話です。旧役場が出てもまだうどんを湯がくくらいの水はあります。よしんばなくなってもそんときゃ海の水で湯がいたるわい(笑)

「四国の堰堤ダム88箇所巡礼」で河川を勉強していると、吉野川流域や四万十川流域等の治水問題で大変だった地域を除くと、四国はほとんどの土地で川が短く勾配が急なために水不足であったことが分かります。松山の水不足は有名ですが、江戸時代の記録によると宇和島や東かがわ等の山が背後に迫った地方では水飢饉は例年のこと。また川がほとんどない上に外部から用水を引き込めない諸島部では水争いのために部落間で血の雨が降った記録があります。まさに白土三平のカムイ伝、今ならマッドマックスの世界が、皆さんが住んでいるところで百年ちょっと前まで毎年リアルに起こっていたということです。

何はともあれ、平成の時代に入って、昔のような家庭の水道の完全断水は、ほとんどなくなりました。ありがたいことです。これは四国を四つの県ではなく一つの島と考えた上での貯水池の整備と用水事業のおかげにほかなりません。ご存知のように高知県の早明浦ダムの水は県境を越えて四国4県に供給されています。

幕末の鳥羽伏見の戦い直後に土佐藩に占領されて苦汁を嘗めた松山城と松山市民ですが、今ではそのお城のお堀の水は、実は高知県に流れ出ている仁淀川(愛媛県側では面河川)の水を用水事業により引いてきたものでありますが、このことは当の松山市民はほとんど知りません(笑)

それでも平成17年の渇水時のように香川県と徳島県との間で早明浦の水の配分問題で水利権のいさかいが起こったこともあります。この時はダムの貯水率が0%まで落ちましたが、台風14号の豪雨で一夜にしてみるみる満水になるさまをライブカメラとネットで驚きながら見ていた覚えがあります。

各県の人の心と心の間ではいろいろとわだかまりもあるのでしょうが、自然とその力の前には、後にも先にも四国は一つです。

四国なんでも88箇所 巡礼推進協議会会長 佐藤 哲也

略歴
1960年4月5日 高松市生まれ
1979年 高松高校 卒業
1984年 早稲田大学政治経済学部政治学科 卒業
    株式会社西武百貨店 入社
1986年 株式会社久本酒店 入社
1992年 代表取締役社長 就任
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四国なんでも88箇所 巡礼推進協議会会長 佐藤 哲也

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