守り続けたい宝と誇りと絆

四国こんぴら歌舞伎大芝居推進協議会 副会長 片岡 英樹さん

Interview

2017.06.15

金丸座で琴平町商工会青年部の皆さん、マスコットキャラクターこんぴーくんと。右から2番目が片岡さん

金丸座で琴平町商工会青年部の皆さん、マスコットキャラクターこんぴーくんと。右から2番目が片岡さん

家業は父が脱サラして始めたラーメン店。子どもの頃から忙しさを目の当たりにしていたため、跡を継ぎたくないと、高校卒業後は同志社大学に進学。1992年に日清製粉に就職し、東京営業部で働いた。しかし母が倒れたことをきっかけに、25歳で琴平町に帰ってきた。町商工会に所属し、ボランティアとして四国こんぴら歌舞伎大芝居に携わることに。青年部の活動の一つだったつもりが、いつの間にかライフワークになっていた。

江戸情緒を感じながら

旧金毘羅大芝居(金丸座)は1835年に創建された現存する日本最古の本格的芝居小屋。1970年に国の重要文化財の指定を受け、76年に移築復元工事が完成した。
観客の「入れ込み」

観客の「入れ込み」

金丸座で公演する「こんぴら歌舞伎」は85年にスタート。琴平町と推進協議会が主催し、今年で33回を数えた。毎年4月、約2週間にわたって開催される春の風物詩だ。公演期間中、商工会青年部が中心となって、チケットのもぎりや舞台装置の操作を行う。歌舞伎俳優が舞台にせり出す「スッポン」や廻り舞台はすべて人力で動かしている。

2008年、24回公演の時に片岡さんは商工会青年部長を務めた。公演をマンネリ化させてはいけない、地元でもっと何かできないかと考えた。「こんぴら歌舞伎の一番の魅力は、江戸時代の情緒を感じながら芝居を見られるところです。芝居小屋の前で演目や演者を紹介する『木戸芸者』を再現したいと思いました」
琴平町商工会青年部が行う木戸芸者

琴平町商工会青年部が行う木戸芸者

歌舞伎を扱った映画を片っ端から見ると『写楽』に木戸芸者が登場していた。偶然にも金丸座で撮影された映画だった。これをヒントに、地元の劇団に振り付けを依頼し、金丸座を紹介する台詞を考え、こんぴら版木戸芸者が誕生。和装した青年部のメンバーが、開場前に口上を述べた。

「いつか役者さんも顔を見せてくれたら」と思っていると、木戸芸者を始めた翌年にその夢がかなった。口上の途中で「待ってました、ラーメン屋」と声を掛けられた。18代目・中村勘三郎さんだった。「お客さんも盛り上がって、本当にうれしかったですね」。木戸芸者の演じ方を琴平町内の小学生に教えた。今では公演期間中に数回、子ども木戸芸者も登場している。

一昨年から新たな試みも始まった。もっと地元の人と触れ合いたいという歌舞伎俳優の要望もあり、町内の各小学校で歌舞伎教室を実施。俳優みずから、女形の歩き方や見えの切り方を子どもたちに教えている。

歌舞伎を琴平の力に

商工会や推進協議会のメンバーとして活動を続けるうちに、自分も歌舞伎公演を支えている一人なんだと、自覚と自信が芽生えた。「金丸座は日本でここにしかない『宝』、こんぴら歌舞伎はまちの『誇り』、公演に携わってきた先輩からの『絆』。すべてを次の世代に引き継いでいきたい」

今後、琴平を1年中歌舞伎が感じられるまちにしたいと考えている。町内の旅館などの施設では、歌舞伎俳優を描いた「絵看板」を常時展示する活動が広がっている。オリジナルの「子ども歌舞伎」をやってみたいという声もある。目指すのは歌舞伎を資源としたまちづくり。「江戸の風情が漂う門前町にすれば、琴平のブランド力が上がると思います。歌舞伎の盛り上がりをまちの元気につなげたい」

鎌田 佳子

片岡 英樹 | かたおか ひでき

略歴
1969年 琴平町出身
1988年 丸亀高校 卒業
1992年 同志社大学 卒業
     日清製粉株式会社 入社
1994年 有限会社カタオカ(ラーメン食堂豚珍館)入社

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