住宅はライフスタイルが決める

ファミリーホーム 代表取締役 千田 善博さん

Interview

2011.09.01

「若いときの苦い経験から、新社長には口を出しません」・・・住宅会社「日進堂」の会長千田善博さん(62)は、支店の売り上げを3倍にした娘婿の喜久山知哉さん(36)に社長を譲り、古参社員を連れてグループ会社の「(株)ファミリーホーム」に移った。

1980年、実父が亡くなって31歳で日進堂を継いだとき、社長の自覚もなく、仕事も出来ず、ベテラン社員の指揮もできなかった。業績は低迷して、売り上げは2億円なのに借金は7億円。資産を売却せざるをえなかった。5年後、借金がなくなって、やっと経営者になれたと思った。ピンチだった日進堂グループは、契約棟数183棟、売上げ39億円の会社になった。

千田さんはファミリーホームを率いて、義息が率いる日進堂と、どちらがもっと会社を発展させるか競い合う。

社員を使えない社長

社長を継いだ時、6人いた営業社員はみんな10歳以上年上だった。「ゼネコンと組んだ『地上げ』など、彼らの仕事の中に入れませんし、社長の役目も果たせませんでした」

父は何も言わずに亡くなった。「経理をやってないから、資金繰りも分からない。7億円の借金でピンチになりました」。資産を売却した。父が始めた結婚式場はマンションに、高松市中央通りの日進堂ビルは、地元工務店の本社になった。

「もう少し早く経営者になれていたら、資金の工面も出来ただろうと思います」。借金をやっと返済した5年間に、頼りない社長に見切りをつけて社員たちは独立していった。

「自分の思いを社員に伝える。彼らの考えていることがよく分かる。これが経営でいちばん必要なことでしょうね」

苦い経験から、千田さんは60歳までに社長を譲って、経営に口を出さないと決めたという。「肩書が器をつくりますから、社長になって4、5年もたてば仕事ができるはずです」

若い喜久山さんに期待を込めて、笑顔になる。

菓子屋から不動産へ

1901年、高松市片原町で菓子屋を創業した。68年に2代目の父・弘繁さんが日進堂を設立して不動産事業を始めた。千田さんは3代目だ。

「お菓子でもうけていた時代、父が郊外に15坪ほどの借家を建てたんです。売るつもりはないのに、5軒建てたら2軒売れたんです」。それが住宅事業の始まりだ。

父の弘繁さんは、人だかりがしていたら、股の下をくぐり抜けてでも見に行く人だった。「好奇心が旺盛で、結婚式場や不動産、採石場まで手がけました」

大きな式場が増えて結婚式場は暇になったが、「日本列島改造論」が出たころ、不動産事業が忙しくなった。

70年、屋島ハイツ宅地分譲事業に着手した。「約288区画、7ヘクタールを買うのに、農地も山も墓地もあって大変でした」。10年かかった。高松空港の造成にも関わった。「父は資金繰りに苦労しましたが、土地がもうかる時代で、ディベロッパーを自負していました」

当時は開発規制が甘かった。「青田売りといって、造成中の土地を図面で売るんです。売った後、資金不足で造成工事が出来ないまま倒産した業者もありました」

「列島改造論」の後、総需要抑制策で公共工事が少なくなった。規制も難しくなった。土地も売れなくなった。父が亡くなった後、80年代に住宅事業に本格的に取り組んだ。

※日本列島改造論
田中角栄の著書と主張。日本列島を高速道路、新幹線で結び、地方の工業化を促進し、過疎と過密や、公害の問題を同時に解決する構想。

「建て売り」は嫌い

千田さんは建て売りという言葉が嫌いだ。「注文住宅より、雑に建てたと思われがちです」。だから、分譲住宅に注文住宅と同じ瓦や外壁材を使った。

「坪単価は高くなりましたが、まだ景気も良かったので、お客さんの期待以上の住宅になって、喜ばれたはずです」。安く建てて安く売る分譲住宅のイメージを変えたかったのだ。いまの日進堂は、受注棟数の4割が注文住宅だという。

日本中に電柱と電線が野放図にあふれている。90年、四国で初めて電線を地下に埋めた団地「ファミリータウン三木」を分譲した。「ヨーロッパのような街並みにしようと思ったんです」。ところが景観をよくするには経費がかかる。「配電設備に一軒当たり150万円ほどかかりましたし、設備の保守管理も自前でやらないといけません」

地価は上がり続けた。分譲住宅が高い物件では4500万円ほどになった。そしてバブルが崩壊した。94年、今度は1500万円台のマイホームを売る「ファミリーホーム」を設立した。

1500万円で住宅を

大量生産、大量消費から省エネ、エコロジーへ、ライフスタイルが変わった。2003年、「年収300万円時代を生き抜く経済学」(経済アナリスト森永卓郎著)がベストセラーになった。小さくてもおしゃれでシンプルで機能的な住宅開発に力を入れた。

「年収300万円なら、借り入れは1500万円が限度です。だから土地と建物で1500万円台でなくてはなりません」。良い住宅を安く提供するために、土地は競売物件を求めて県外へ、神戸、明石、福山にも進出した。

キッチン設備やユニットバス、アルミサッシなど住宅機器は、製造数が多い普及品が、品質も良くて値段が安い。「メーカーの都合で、100万円の小売価格が30セットまとめれば35万円になる、というのもあります」。お客さんが、ファミリーホームが仕入れた機器を選べば、安くて良い住宅になるという。

※競売
裁判所などが執行する差し押さえの土地・建物の売却。

「値段」より「住み心地」

千田さんにも悩みがある。日進堂からファミリーホームに移籍させた営業マンは、お客さんに日進堂と同じ住宅部材を勧めるので、坪単価がなかなか下がらないという。

「営業マンは高額な住宅を売りたいんです。僕自身もそうです。お客さんに、注文住宅を勧める気持ちが抜け切れないんです」

しかし、ライフスタイルは変わり続ける。住宅もまた変わる。台所はシステムキッチンに、トイレは温水自動洗浄で節水節電へ、6畳の茶の間は20畳のリビングダイニングへ、住宅は機能も形も進化を続ける。

「いま都合の良いことが、将来の無駄や不便になることもあるでしょう」。立派な住宅も、ライフスタイルが変わると住み心地は悪くなる。

「ヨーロッパの人たちは100年前の建物に住んでいますが、日本の私たちもそうなるか疑問です。ライフスタイルが変わると、100年使えるはずの住宅も使えなくなります」

千田さんは「住宅の価値は、値段より住み心地だ」と結論する。省エネ、エコロジー志向の若い世代が増えた。年収300万円でも買える、シンプルで高機能な住宅市場がもっと拡大すると千田さんは確信している。

※リビングダイニング
居間と食事室を一緒にした部屋。

経営力を競う

ファミリーホームの社員は42人、日進堂は53人。来年の入社内定者が6人いるから、グループの社員は100人を超えることになる。経営者の責任は更に増す。

「どちらが会社を大きくするか競争しよう」。千田さんは、日進堂の喜久山さんに宣言した。互いに競うことで、グループをより強くするためだ。

香川からスタートしたファミリーホームは、売り上げ13億6000万円の3割を、松山と岡山の支店で占めるようになった。千田さんの目標は全国制覇だ。

頼りない社長

会社を継いだ当時の千田さんは、失敗も多かった。事業の結婚式場「花の宮会館」は、大手の式場に客を奪われて暇になった。電気と水道は基本料金だけで1カ月12万円と2カ月3万円、それに使用料を払っていた。

「結婚式場をやめてマージャン荘でもやろうと、初めて銀行へ借りに行ったんです。おやじの付き合いで2、3回会ったことがある本店の専務に、自信のないまま事業計画を話したら融資が出たんです」

結局1年もたずにやめて、花の宮会館は売却した。「当時の私は本当に頼りない社長で、銀行の専務に、うそをついたことになったんです」

融資に応じたのは、現在もメーンバンクの高松信用金庫だ。

千田 善博 | せんだ よしひろ

1949年 高松市生まれ
1967年 高松市立第一高等学校卒業
1968年 株式会社日進堂入社
1980年 代表取締役就任
2009年 代表取締役会長就任
    株式会社ファミリーホーム 代表取締役就任
現在に至る
写真
千田 善博 | せんだ よしひろ

株式会社ファミリーホーム

所在地
①高松市寺井町1024-2
TEL 087-813-7700/FAX 087-813-7701
設立
①1994年
代表者
①千田 善博
資本金
①1000万円
沿革
1901年 菓子製造業「日進堂」創業
1968年 株式会社「日進堂」設立、不動産業に着手
1970年 屋島ハイツ宅地分譲事業に着手(288区画)
1990年 四国で初めて電線地下埋設方式のシステムタウン(ファミリータウン三木)を分譲
1994年 株式会社「ファミリーホーム」設立
2009年 代表者交替
確認日
2018.01.04

株式会社日進堂

所在地
高松市伏石町2037-18
TEL 087-866-6100/FAX 087-866-6139
設立
1968年
資本金
2000万円
代表者
喜久山 知哉
売り上げ
39億4512万円(グループ会社を含む)
従業員数
95名(グループ会社を含む)
事業内容
注文住宅・分譲住宅・増改築リフォーム工事
その他不動産総合業務・建設業・設計事務所
宅地建物取引業者免許
香川県知事(12)第1015号
建設業許可
香川県知事(般-20)第6692号
確認日
2018.01.04

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