キャプテンで得た“財産”今、生かす時―

佐川印刷 高松支店 支店長 奥村 剛史さん

Interview

2011.12.15

京都に本社がある佐川印刷株式会社。全国22支店の中で最年少支店長が、高松支店の奥村剛吏さん(37)だ。「支店長会議でも、あまり年下に見られないですね。『お前、そんなに若かったのか?』って(笑)」

ずっと“キャプテン”

そんな雰囲気を醸し出しているのは、歩んできた道に少なからず関わっているのかもしれない。根っからの野球少年だった。小学、中学、高校、大学、そして社会人と、すべて〝キャプテン〟という大役を務めてきた。

「しんどいことが多いですし、気も使います。100あっても楽しいのは1つくらいですよ。でも、『キャプテン』という言葉、けっこう好きなんですよね」

最も印象深いのは・・・

高校時代に務めたのは、甲子園常連の名門校のキャプテンだ。「私たちの代では結局、甲子園には行けませんでした。最後の試合になった京都大会の準々決勝。9回2死ランナー1塁で、私は3塁のランナーコーチをしていました。バッターの打球はライト前へ。1塁ランナーは一気に3塁を狙いましたがタッチアウト。私の目の前で試合が終わりました。負けた瞬間のシーンは今でも鮮明なカラーで映像が出てきますね。たまに夢にも出てくるんですよ」

甲子園出場を義務付けられた伝統校で、100人を超える部員を率いた高校時代。そして大学時代は、高校時代から一転、創部7年という若いチームで、やはり約100人の部員を率いた。これまでのキャプテン人生で最も印象深いのはいつですか?すぐさま答えが返ってきた。「やはり社会人時代ですね」

「お前についていく」

大学卒業後は、実は別の会社に入るつもりだった。しかし、「これからは野球に力を入れていく」という佐川印刷のオーナーに声をかけられ、方向転換。いわゆる「野球で入社」し、できたばかりの20人ほどのチーム「佐川印刷軟式野球部」に入部した。

午前8時から11時頃まで練習した後、営業マンとして走り回る日々。野球部員といえども、一般社員と同じノルマを課せられたそうだ。「〝お客さんを何より大切にする〟というのがオーナーの方針だったので、練習中もマネジャーが営業マンの携帯電話を何台も持って応対していました。『すみません。奥村は今、ノックを受けているんです・・・』って(笑)」

そんなある日、チームの先輩たちに突然呼び出され、こう告げられた。「あしたからキャプテンをやってくれ」。入部からわずか3年目のことだった。「最初は戸惑いました。これまでと違ってチームには年上の人もいるわけですから。でもその時、普段は鬼のように恐い先輩方が言ってくれたんです。『お前のチームやから好きなようにやれ。もし、おまえのやり方が間違ってると思っても、ついていってやるから』と。もう泣きそうになりましたね。一気に気持ちが楽になりました」

3年前に現役を退いた。約7年間務めた「佐川印刷軟式野球部キャプテン」とは・・・「かけがえのない財産ですね。野球のプレーの方より、人間として磨かせてもらいました」

高松支店の“キャプテン”として

初めて本社を離れての支店勤務。今は〝チーム高松支店〟のキャプテンだ。「売上は全社の1~2%程度です。でも、小さな支店が業績を伸ばすことで大きな支店にプレッシャーを与えられるし、社員の自信にもなる。勢いを見せつけられるような支店にしていきたいですね」

赴任して1年が過ぎた人事異動の時期、部下にこう言われたそうだ。「支店長、まさか1年で代わったりしないですよね・・・」。本当にうれしかったと笑顔で話す奥村さん。長年培ってきたキャプテンシーが、確実に高松の地で発揮されつつある。

奥村 剛史 | おくむら つよし

略歴
1974年7月6日 京都府城陽市生まれ
1997年3月 高岡法科大学法学部 卒業
1997年4月 佐川印刷株式会社 入社
2010年4月 高松支店 支店長

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