激動のM&A経験を経て
第二の人生は軽やかに

前 スワニー 代表取締役社長 板野 司さん

Interview

2024.06.06

1993年に入社し、2009年から代表取締役社長を務めた株式会社スワニーを売却する。板野さんがそう決めたのは21年夏のこと。22年11月、株式会社日本共創プラットフォームに株式を譲渡した。手袋・バッグの企画製造販売で業界トップクラスのシェアを誇り、東かがわを代表する老舗企業の一つが発表した突然のM&Aは周囲を驚かせたが、板野さん自身は「この道しかない」という信念の下で挑んだ、前例のない挑戦だった。

惰性で続けるより決断を!

2007年に妻の父である先代から三代目社長の打診を受けた時、真っ先に出た言葉は「その次はどうしますか?」。子供のいない板野さんが社長職を継ぐに当たり、最大のリスクは事業承継ととらえたからだ。社長就任に際して「10年は頑張る」と心を決め、海外拠点を展開したり社内改革に奔走したりと精力的に活動したものの、10年経った2019年時点で後継者は未定。さらに20年以降のコロナ禍で売り上げも伸び悩んだ。「親族内に候補者はなく、社員から選出するには株の承継という資金的な壁があり、この危機を乗り越えるにはM&Aしかない。還暦という人生の節目もあり、このまま惰性で続けたくはなかった」と振り返る。

2021年秋から動き始め、22年から候補先を選定。最終的に日本共創プラットフォームが投資ではなく長期成長を目指すビジョンを示したことが決め手となり、6月に売却を決定した。「私の競業禁止が主な条件で、社員にとってはしがらみのない、いい経営刷新になると思いました」。

ワンマン経営を否定してきた板野さんだが、M&Aは経営陣のみで協議したため、株主の説得や書類のまとめに東奔西走していた期間中は社内に告知しておらず、11月になって幹部層に発表した時は驚愕も反発も大きかったという。「社員の長としての『社員長』でありたいと思っていたのに、経営経験を積むにつれてワンマンに陥り始めた自覚もありました」と悔やみ、最後の経営会議では皆に頭を下げた。東かがわの同業他社からも「さみしい」「魂を奪われたよう」と惜しまれたが、一方では「大胆な決断を支持する」という声も。「社内外のどんな声もありがたく、同時にスワニーが担う責任の重さも改めて感じたものです」と噛みしめる。

肩の荷を下ろし心機一転

妻と旅したニュージーランド・マウントクックの思い出

妻と旅したニュージーランド・マウントクックの思い出

経営陣が一新されて以降、スワニーは社内の効率化が進み、さらに成長の兆しが見えているという。M&Aを成功裏に終えた達成感とともに、「孤独な社長職を辞して、本来あるべき人間的な社会心理に戻れた。つきものが落ちたよう」とも語る。「成功体験が増えるほど組織をコントロールできるようになる半面、経営者としての自分はコントロールできなくなりがちで弊害もある。同族承継のスパンは30年ともいわれますが、今の時代はもっといろいろ自由でいいんじゃないでしょうか」。

重責を果たした今は、海外戦略のノウハウを生かして他業界の顧問を務めるかたわら、のんびりと自分の時間を使う日々。「人生を楽しみながら、これからも自己改革はし続けたい」と笑った。

戸塚 愛野

板野 司 | いたの つかさ

略歴
1963年3月12日 さぬき市生まれ
1985年3月 松山商科大学経済学部卒業
1985年4月 繊維商社入社
1993年6月 スワニー入社、中国スワニー出向
1994年4月 ファッション事業部営業担当
2005年3月 ファッション事業部部長
2007年3月 常務取締役
2009年3月 代表取締役社長就任
2023年 同 退職

記事一覧

おすすめ記事