始まりは「エースをねらえ!」
大学入学後はソフトテニスから離れるが、再び少年の頃の競技モードが蘇る日が訪れる。30歳になっていた。「大阪の四條畷の地域クラブにふらふらっと入ったんですが、そこには学生時代にならした選手の方が多くてね、影響を受けました。大阪府大会、時には近畿大会にも出場し、トッププレーヤーと対戦することもありましたよ」。5年近く続いた競技モードから現在は、「ソフトテニスを気軽に大勢の人と楽しみたい」という気持ちにシフト。高松に転勤後の昨年11月には、市内のソフトテニスクラブ「フェニックス」に入会し、休日には高松市亀岡テニスコートでラケットを握ることもある。
ビジネスにもあてはまる?ソフトテニス
ソフトテニスは、ほとんどがペアを組んで試合に臨む。後衛と前衛のプレーヤーそれぞれの強みを生かした試合の組み立て方や配球の工夫で、試合を勝ち取っていく。「打つことだけ自体なら、ソフトテニスは意外に簡単だと思うんです。しかしその分だけ、試合の組み立て方が重要です。自分たちの強みを生かした得点パターンや守りのパターンを練習し、試合の勝負どころでこれを確実に再現できるかが、勝負を分けるんですね」
試合に勝つことを考えると、自分にあった相手を探すことも必要となる。ペアには強さ、弱さの相性もある。「個々のスキルはもちろんですが、1つのチームとして、どういうコンセプトでどんな強みを出していくか、つまり何で勝つか、が大事なんですね」
それはビジネスにも当てはまると原田さんは言う。「ペアの強みを生かすこと。弱みは何も生み出さない。ビジネスにも同じことが言えます。組織を預かることになって、何をよりどころにしようかと考えたとき、思い至ったのがドラッカーの書物でした」
弱みを見ずに、強みをいかに生かせるか。「弱みを補完し強みを発揮するためにペア、つまり組織がある。この組織にリーダーが目標と戦略を共有化できれば、個々は自律的に動き始める。これはスポーツもビジネスも同じなんだなあと感じましたね」
※(ドラッカー)
ピーター・ドラッカー(1909~2005)。オーストリアの経営学者・社会学者。現代経営学、マネジメントの発明者といわれる。著書多数。
あの時代に戻れるなら
原田 信一 | はらだ しんいち
- 略歴
- 1967年 大阪府大東市生まれ
1989年 関西学院大学法学部卒業
松下電器産業株式会社
(現パナソニック株式会社)入社
2000年 関西経済連合会事務局出向
2002年 出向復帰
2009年 四国支店長 - 写真
おすすめ記事
-
2022.09.01
全ての人に最適なひとときを
日本たばこ産業株式会社 香川支社長 蔵下 泰豊さん
-
2022.05.05
地域と「一体」となって お役に立ちたい
三井住友海上火災保険株式会社 四国東支店長 中村 哲也さん
-
2021.03.18
あきらめなければ成功がある
株式会社BOD高松営業所長 伊丹 克さん
-
2020.12.17
経験はすべてつながっている
東京海上日動火災保険(株) 常務執行役員(四国エリア担当) 吉田 正子さん
-
2020.05.08
違いを知り、いろいろな面から物事をみる
三井住友海上火災保険執行役員 四国本部長 高樋 毅さん
-
2020.04.02
顧客の課題解決に、役立つ提案をしたい
富士ゼロックス四国 代表取締役社長 近藤智彦さん
-
2020.01.16
流されず自分で考える
大日本印刷 情報イノベーション事業部 中四国営業本部 本部長 中野亮司さん
-
2020.01.03
謙虚さと向上心をもつ
香川県警本部長 岡部正勝さん
-
2019.11.07
地域と国をつなぐ役割を果たしたい
四国財務局長 安出克仁さん
-
2019.08.15
「やりたいこと」に向かって
全力で努力するNHK高松放送局 局長 池田信浩さん
-
2013.04.04
家族と土木工事を愛する技術者
東讃地域の宣伝マンに西日本高速道路 四国支社 高松工事事務所 所長 後藤 由成さん