中学時代からのソフトテニスの経験は、ビジネスにも大いにいかされている

パナソニック四国支店長 原田 信一さん

Interview

2010.02.18

パナソニック四国支店長・原田信一さんのソフトテニス歴は、中学時代に始まる。「きっかけは小学校高学年の時に知った『エースをねらえ!』。でも当時の中学校のクラブはソフトテニス(当時は軟式テニス)が主流だった。以来、僕はずっとソフトテニスなんですよ」。

始まりは「エースをねらえ!」

テニス部は人気のクラブだった。1学年だけでも部員数は50人。下級生のころは球拾いに明け暮れる毎日で、試合に出られたのは中3になってから。次に進学した府立高校はソフトテニス強豪校の一つで毎年好成績を残していたが、インターハイ出場の壁は厚かった。

大学入学後はソフトテニスから離れるが、再び少年の頃の競技モードが蘇る日が訪れる。30歳になっていた。「大阪の四條畷の地域クラブにふらふらっと入ったんですが、そこには学生時代にならした選手の方が多くてね、影響を受けました。大阪府大会、時には近畿大会にも出場し、トッププレーヤーと対戦することもありましたよ」。5年近く続いた競技モードから現在は、「ソフトテニスを気軽に大勢の人と楽しみたい」という気持ちにシフト。高松に転勤後の昨年11月には、市内のソフトテニスクラブ「フェニックス」に入会し、休日には高松市亀岡テニスコートでラケットを握ることもある。

ビジネスにもあてはまる?ソフトテニス

一時中断していた時期があったとはいえ、原田さんはソフトテニスに魅了されてきた。「なんといっても、ラケットを振り切ったときの打球感。これは経験した人でないとわからない感触ですね。そして、ソフトテニスの特徴であるダブルスという競技スタイルに魅力があるように思いますね」

ソフトテニスは、ほとんどがペアを組んで試合に臨む。後衛と前衛のプレーヤーそれぞれの強みを生かした試合の組み立て方や配球の工夫で、試合を勝ち取っていく。「打つことだけ自体なら、ソフトテニスは意外に簡単だと思うんです。しかしその分だけ、試合の組み立て方が重要です。自分たちの強みを生かした得点パターンや守りのパターンを練習し、試合の勝負どころでこれを確実に再現できるかが、勝負を分けるんですね」

試合に勝つことを考えると、自分にあった相手を探すことも必要となる。ペアには強さ、弱さの相性もある。「個々のスキルはもちろんですが、1つのチームとして、どういうコンセプトでどんな強みを出していくか、つまり何で勝つか、が大事なんですね」

それはビジネスにも当てはまると原田さんは言う。「ペアの強みを生かすこと。弱みは何も生み出さない。ビジネスにも同じことが言えます。組織を預かることになって、何をよりどころにしようかと考えたとき、思い至ったのがドラッカーの書物でした」

弱みを見ずに、強みをいかに生かせるか。「弱みを補完し強みを発揮するためにペア、つまり組織がある。この組織にリーダーが目標と戦略を共有化できれば、個々は自律的に動き始める。これはスポーツもビジネスも同じなんだなあと感じましたね」

※(ドラッカー)
ピーター・ドラッカー(1909~2005)。オーストリアの経営学者・社会学者。現代経営学、マネジメントの発明者といわれる。著書多数。

あの時代に戻れるなら

「もし時間を戻せるなら、あのころに戻りたいと思うことがありますね」。インターハイを目指していた高校時代へ、だ。目標としていたインターハイ出場は、大阪府でただ1校。私立の強豪、全国でも上位常連だった出場校には勝てなかった。「局面ではいい勝負ができていた。しかし負けてしまう。今から思えば、本気で勝てると思っていない自分がいたのかなと思います」。まず勝ちたいと本気で思うこと。そして勝つための具体的な戦略。多くを経験してきたからこそ、その策が今は見える。ビジネスにも生かせるその経験は、これからも原田さんと共にある。

原田 信一 | はらだ しんいち

略歴
1967年 大阪府大東市生まれ
1989年 関西学院大学法学部卒業
    松下電器産業株式会社
    (現パナソニック株式会社)入社
2000年 関西経済連合会事務局出向
2002年 出向復帰
2009年 四国支店長
写真
原田 信一 | はらだ しんいち

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