存続・発展は多角化で・・・「日本酒」を守る

西野金陵 社長 西野 武明さん

Interview

2009.05.21

「去年、創業350年を全社員がここで祝いました」。樹齢900年というクスノキのこずえが広場の空を覆う。
創業当時の酒蔵を復元した、金刀比羅宮参道にある「金陵の郷」で、西野金陵(株)社長、西野武明さん(67)は、しっかりと地に根を張った巨木を見上げる。
ルーツは阿波の藍商人。多角化で酒造業へ、化学染料へ。歴史の激動を乗り越えて存続してきた。「私で17代目です。入社式も永年勤続の表彰もここでやります。会社の歴史と文化を全社員に共有してほしいんです」
豪商から企業へ。西野金陵は酒造業、酒類・食品総合卸売業、化学製品業の3本柱で562億円を売り上げる。

変化を乗り越える

創業1658年。1789年に8代目が多角化に乗り出し、天領の琴平で酒造業を始めた。やがて藍は化学染料の登場で衰退した。 
「酒があったので助かりました。少し遅れましたが化学染料へ切り替えました。藍だけだったらつぶれていたでしょう」
ピンチに奮起して、化学染料へ。そして化学製品事業へ進出した。

創業以来350年、存亡の危機が3度あった。明治維新で保護と統制が無くなって藍が自由化されたのが最初。2度目はドイツで発明された化学染料で藍が暴落した。
3度目は第2次世界大戦後、農地解放で酒造用の米を作る農地が取り上げられた。
「今度の大不況は、100年に一度といわれていますが、土台がひっくり返るほどの変化ではありません。やがて元に戻ると思います」。社業の歴史が西野さんの確信の源だ。

「日本酒」を守る

1969年、最新設備を結集した多度津工場が完成した。73年、日本酒がピークを迎える。83年、社長就任。量販店の進出と規制緩和で街の酒屋さんが苦しくなった。やがて日本酒も売れなくなった。「じわじわ消費が落ちる“ゆで蛙”状態になりました」
徐々に起きる危機は気がつきにくい。環境が変化しているのに前例主義が幅をきかせる。

香川県の日本酒トップシェア「清酒金陵」もピーク時の4分の1まで落ち込んだ。「清酒金陵」を売るために問屋(酒類・食品総合卸売り)を兼ねていたのが幸いした。
「問屋の立場で見ると市場の変化がよくわかりました。『清酒金陵』は落ち込みましたがビールや焼酎の扱いが増えて会社は順調でした」

藍が化学染料に代わったとき、酒があって助かった。こんどは化学製品事業と問屋事業があった。もっと地域に密着して、「清酒金陵」の販路を拡げるため、97年香川酒類販売(株)、98年(株)多智花商店、2004年(株)ハスイ酒店など、卸や小売りの会社をグループ化した。

※(ゆで蛙)
ビジネス環境の変化に対応する事の重要性、困難性を指摘するために用いられる寓話。

※(清酒の課税移出数量)
ピーク時は1973年1,766千キロリットル、2006年は700千キロリットル。国税庁統計年報書より

問屋の役割

量販店は配送センターを設けてメーカーから大量納品を引き受ける。配送センターから各店への配送に物流業者や異業種が参入する。「問屋不要論」が現実になるという見方もある。
「量販店では、ビールなどの定番品は直売になるのかもしれません。でも人事異動で、例えばお菓子売り場の担当者が、経験のない酒の部門に変わります。問屋は『売れる商品をお客さまに提供する』専門家です。売り場は問屋に任せて店舗運営に特化したほうが得策です」

商品の集荷・配送とマーケティング力が問屋の強みだ。「メーカーが酒屋さんに、一軒ずつ配送したらコストは上がります。与信管理も問屋に任せた方がリスクは減ります」。
流通の中継点でメーカーや小売店と協働する。メーカーと問屋と小売りの「製造・集配・販売」の効率化。これから問屋が果たす役割だ。

化学製品業

藍の取引は商社的な経済活動だった。阿波の藍商人をルーツとする染料や肥料などを扱う総合商社が現在も数社ある。
化学製品事業は明治期に入って始めた。時代の流れと共にインド藍、ドイツの化学染料の輸入など、染料を中心に合成樹脂や工業薬品を扱う分野に進出した。「広く・浅い」情報を「早く」メーカーに提供する専門商社だ。
化学製品部門は、給与体系も勤務時間も違う。他の部門と人事交流もない。「ほとんど理工系の人間しか採りません。採用も別ですが、入社式はここ、金陵の郷で一緒にやります。全社員に会社の歴史と文化を共有してほしいんです」

変わらないもの

小売りの寡占化がますます進んでいる。量販店は定番商品を売る。だが酒のニーズは多様化している。「日本では日本酒が、フランスではワインが、ドイツではビールが減っています」

長男で常務の西野寛明さんの提案で、酒屋さんを支援する事業「わんまいる」の四国代理店を始めた。「香川県では12店舗、愛媛県では3店舗の酒屋さんに、お酒やお米、各地の特産品を提供します。酒屋さんはきめ細かい御用聞き営業で、高齢化市場を開拓します」。街の酒屋さんが元気になれば「清酒金陵」も元気になれる。
世の中は変わる。西野金陵の3本柱の事業が、4本になるか2本になるか分からない。だが変わらないものがある。日本酒はなくならない。西野さんの確信だ。

※(わんまいる)
昔の御用聞きを現代にマッチさせたシステム。無料で配達し2000種類の商品を扱う。

家訓と社長の気質

西野家には、「司馬温公の家訓」を何代目かの当主が書いた掛け軸が、家訓として代々伝えられている。
「書を積みて子孫に遺すも、子孫読むことあらわず。金を積みて子孫に遺すも、子孫守ることあたわず。陰徳を瞑々の中に積にしかず、以って子孫長久の計と成す」・・・・・・。
資産や名著をいくら残しても子孫がそれをうまく活用できない。それより陰徳(表に出ない徳)を積むことによって子孫が代々続いていくという教えだ。
先代社長の西野嘉右衛門さんは数字に明るく議論をまとめるのがうまかった。「社員に議論させたうえで、気付いたら社長の言いたかったところに収まっていました」
武明さんは42歳で社長を継いだ。「父親との葛藤や考え方の違いはまったくなかった。周囲も含めて社長交代はスムーズにいったと思います。ぼちぼち次を長男の常務に引き継ぐ準備も始めていますが・・・・・・」。武明さんは笑う。

※(司馬温公)
中国の北宋時代に活躍した政治家、歴史家。一族の繁栄を考えて子孫に教えを残した。

常務の話

「社員の立場から言うと、おやじは頑固で細かい。いい意味で数字に強い。意見の違いはないですね。社長になったら独自性を出すと言うのも、あまり無いですね」

西野 武明 | にしの たけあき

略歴
1941年 徳島県小松島市生まれ
1964年 慶應義塾大学法学部卒業
    化成品工業協会入社
1968年 (株)西野商店入社
1983年 西野金陵(株)代表取締役社長就任


公職

1994年 四国麦酒卸売酒販組合理事長就任
    西日本ビール厚生年金基金理事長就任
1995年 (株)阿波銀行監査役就任
1996年 西日本ビール厚生年金基金理事長退任

西野金陵株式会社

所在地
本店:仲多度郡琴平町623
化学品事業部:大阪市中央区久太郎町1-6-9
酒類部:高松市亀井町2-8
創業
化学品事業部:1658年・酒類部:1789年
資本金
2700万円
事業内容
染料・化学工業薬品・合成樹脂等の販売・輸出入
清酒醸造、酒類・食料品等の製造・販売
郷土資料館の経営を核とした観光業
社員数
194人
地図
URL
http://www.nishinokinryo.co.jp
確認日
2018.01.04

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