地域に愛される日本酒求め 地酒ビジネスの新戦略開拓

川鶴酒造 社長 川人 裕一郎さん

Interview

2012.11.01

品質は良くなっているのに、日本酒は長い低迷期を抜け出せない。香川県は戦後の最盛期、40蔵近くの造酒屋があったというが、いま残っているのは7蔵だけ。

地酒のシェアは26.7%。焼酎文化の沖縄、鹿児島、宮崎を除くと、いちばん日本酒メーカーの少ない県だ。

川鶴酒造6代目社長の川人裕一郎さん(43)は、祖父や父が守り続けた甘口の普通酒、造れば売れた時代に拡大した設備、それに古参の社員とを引き継いだ。だが、出荷量は最盛期だった1975年ごろの9600石から1500石に減った。

「なんとか生き残ってこられたのは、地元の方々に飲み続けて頂いているおかげです。守るべきものを守り、変えるべきものを変えます」

地元で競争力をつけるために、東京や大阪など大都会、海外にも売り込む。市場が縮小するなか、日本酒が持つ可能性を信じ、地域の人々に愛される地酒ビジネスの新しい戦略づくりと取り組む。

※1500石
27万リットル。1石は180リットル、一升瓶(びん)100本分。

県外酒に押され地酒シェア低下

約10年間地元から離れていた。帰ってきて、飲んだとき、なんだか納得できないものを感じた。

東京農業大学醸造学科を卒業後、アサヒビールを経て国税庁醸造研究所(現・独立行政法人酒類総合研究所)で学び、1996年、27歳のとき帰郷した。義兄の越田達夫さん(49)も異業種から同時期に入社、若いコンビが川鶴のかじを取り始めた。

36歳で社長を継ぐ直前、父の洋造さん時代の広島杜氏(とうじ)が高齢のため引退した。つてを頼って但馬杜氏の寺谷保さん(66)に来てもらった。

酒造りは集団の仕事だ。味は経営者の意向を受けた杜氏の技術と統率力で決まる。普通酒の甘口の基本は変えずに、すっきりしたキレのある口当たりに変えていった。

「味が変わった」と飲まなくなった古いお客さんがいた。「うまくなった」という人がいた。5000石あった出荷量が2000石まで減るのに10年かからなかった。「父は、すべてを任せた、と言って引退しましたが、社員のほとんどは僕が子供だったころからいる人が多く、反発ややりづらいこともありました」

時代が変わり、家庭で料理をあまりしなくなって外食が増えた。コンビニやファーストフードの濃い味が、若い世代に馴染んだ。うす味の和食が少なくなり、日本酒が飲まれなくなった。

高齢化と若年層のアルコール離れで市場は縮小している。瀬戸大橋の開通や流通の構造変化で、県外酒が香川に流入して地酒のシェアが下がった。

日本酒ベースにオンリーワンの酒

時代の変化と慣れない経営のかじ取りによって、売り上げは減少していった。「それでよかったのかもしれません」。量が減っても、川鶴が大事にしてきた普通酒の品質をベテラン社員の経験と技術が向上させ、専務の越田さんや県外から来た社員の、外からの視点が日本酒の枠を広げ、新製品の開発などを推し進めている。

「お米のうまみが凝縮した日本酒、そして地元の産物を使った日本酒ベースのリキュールでオンリーワンの味を目指しました」。工場では作れない、蔵だから出来る手づくりの工程で個性豊かな味が生まれる。

2009年香川県産のイチゴやモモ、ブドウ、ミカンなど果物を使ったリキュールを、10年に伊吹島産のいりこを炙(あぶ)って造ったいりこ酒を発売した。11年度かがわ県産品コンクールで、「炙りいりこ酒」は最優秀の知事賞を受賞した。

「みんなで議論しながら、日本酒がもっている可能性に挑戦しています。地域の方々との協力による商品開発も事業の柱として捉えています」

甘くて軽いリキュールは、女性に日本酒を楽しんでもらう戦略酒だが、もう一つ大きな役目がある。香川の優れた食材を県内外に発信するという効用だ。普通酒の出荷量は減ったが、純米酒や吟醸酒は増えた。リキュールの売り上げは伸び続けている。


普通酒
かつての一級酒と二級酒のこと。
吟醸酒、純米酒など特定名称の酒として区分されない日本酒

純米酒
コメ、米麹(こめこうじ)、水だけを原材料としたもの

吟醸酒
精米の割合が60%以下で固有の香味(吟醸香)があり色沢が良好なもの

リキュール
日本の酒税法による定義は、酒類と糖類その他の物品(酒類を含む)を原料とした酒類でエキス分が2度以上のもの(清酒、焼酎、みりん、ビール、果実酒類、ウイスキー類、発泡酒、粉末酒を除く)

お米が命、輸出で競争力高める

▲お米は命。川人さんは、蔵の前の水田を借りて酒米づくりにも熱心だ

▲お米は命。川人さんは、蔵の前の水田を借りて酒米づくりにも熱心だ

日本酒復活の兆しが見える。「11年度の日本酒の出荷量は16年ぶりに前年度を上回った。東日本大震災で甚大な被害を受けた東北の地酒を味わい、支援しようとの動きが後押ししているようだ」。(朝日新聞2012年6月11日)

今年4月、政府が日本酒の海外展開支援を打ち出した。「川鶴も製造量の3~4%を輸出していますが、これからもっと伸びると思います」

9月にイギリスとドイツに出張した。日本食レストランを中心に回って、海外ではSAKEと呼ばれている日本酒を売り込んだ。海外展開で地元での競争力も強くなる。輸出は拡大戦略ではない。地酒蔵として地元に愛され続けるためのブランド戦略だ。

製造した量の7割は県内向けだ。

「拠点を地元にすることで、農家や酒屋などの流通関係者、飲食店、消費者へとモノやサービスが循環して人と人が結ばれる。それが蔵元の存在理由です」

酒造りはお米が命だ。地元農家と山田錦を契約栽培しているが、蔵の前の田んぼ30アールほどを借りて酒米に適した山田錦を作っている。酒の造り手がコメ農家の苦労を知ったうえで酒造りと取り組むためだ。

流通関係者や飲食店、地域の人々、試験醸造免許を持つ地元の笠田高校の生徒も加わって、手作業で田植えして稲刈りする。

今年122回目の冬季の酒造りが10月から始まった。11月に杜氏や蔵人(くらびと)もやってくる。お米の入荷から様々な複雑な工程を経て、新酒が誕生する。

川人 裕一郎 | かわひと ゆういちろう

1969年 観音寺市生まれ
1991年 東京農業大学醸造学科卒業
1991年 アサヒビール株式会社入社
1994年 川鶴酒造株式会社入社
2004年 代表取締役社長に就任
主な役職
2008年 香川県酒造組合副会長に就任
2008年 香川県酒造協同組合副理事長に就任
2009年 みとよ青年会議所理事長に就任
写真
川人 裕一郎 | かわひと ゆういちろう

川鶴(かわつる)酒造株式会社

所在地
観音寺市本大町836番地
TEL:0875-25-0001
FAX:0875-25-2487
創業
1891年
石高
1500石
代表者
代表取締役社長 川人裕一郎
杜氏
寺谷 保(但馬杜氏)
確認日
2018.01.04

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