出店、閉店・・・・・・ 見えてきた利益システム

平井料理システム 社長 平井 利彦さん

Interview

2011.06.19

1歳半で母親を亡くした。父親と離れ、母方の祖父母に育てられた。暮らしは裕福ではなかった。生活費を稼ぐため、10歳からアルバイトを始めた。

「物事の判断基準は、『もうかるか、もうからないか』。子どもの頃から染みついていましたね」。友達と遊ぶよりもアルバイトを優先した。

19歳の時、アルバイトをしていたラーメン店の、師と慕う店長に言われた。「お前、本当の友達いてないやろ。最低の人間や」。返す言葉が無かった。

平井料理システムの社長、平井利彦さん(55)のビジネスは、人間関係をつくることから始まった。友人に支えられ、25歳でラーメン居酒屋を開業。その後30年、信頼出来るスタッフとともに、焼肉、和食、ビアガーデンなど、19店舗にまで拡大させた。

30歳を過ぎてから厨房には立っていない。自分自身を「根っからの料理人ではなく、遊び人で商売人」だと話す平井さんは、料理で人を集め、もうけを生み出すシステムを追究し続ける。

「連日満員」から一転

「投げたボールは落ちないんだと思いましたね」

25歳の時、友人にかき集めてもらった200万円で、小さなラーメン居酒屋「吾割安」を始めた。当時、居酒屋といえば大手の全国チェーン店程度。連日満員で、売り上げは好調。古い木材倉庫を改造したレトロな雰囲気も若者らにうけた。

「その状態が数年続きました。調子にのってしまいましたね」

平井さん曰く、「勘違いして」2軒目、3軒目を出店。しかし、居酒屋ブームでライバル店が次々と現れ、売り上げは急落。バブル崩壊後の社会の閉塞感や、飲酒運転の取り締まり強化もあって赤字が続いた。

当時、小泉内閣が進めていた構造改革。「金融再生プログラム」を掲げ、民間の活力を引き出そうと、銀行に、特に中小企業への融資を勧めていた。「どんどん貸せ」という風潮の中、平井さんも融資を受けた。しかし、同じことを繰り返しただけだった。

金融再生プログラム
2002年、竹中金融担当大臣(当時)がまとめた主要銀行の不良債権問題解決のための政策案。中小企業への貸し渋り、貸しはがしをなくすため、担保主義から脱却し事業計画を重視する方針などが打ち出された。

出店と閉店を繰り返して

「出来ると思って、勘に頼って次々と店を出す。勉強もろくにしてこなかったので、経済の理論も知らない。資金繰りに追われるばかりで、失敗と苦しみの連続でした」

「これではアカン」と、高松JC(青年会議所)に入った。組織の仕組みを学び、それをそのまま実際の経営に取り入れた。簿記の学校に通ったり、大学の経済学の講義にもぐりこんだりもした。

現在、展開しているのは、香川や愛媛など5県19店舗だが、これまでに約2倍の数を出店している。業態を変えてリニューアルした店もある一方で、やむなく閉店した店も多い。

「飲食店は、ファンがつくまで何年もかかります。毎日が不安です。でも、従業員の生活を守れなくなったら、つらいですが閉店せざるを得ません」

繰り返した出店と閉店・・・・・・。その中から少しずつ「利益を出すシステム」が見えてきた。

多業態であること。物件は、いくら良くても50坪、100席以上が必要。立地には吟味に吟味を重ねる。これらに少しでも疑問があれば出店は見送る。

痛感したことがある。居抜き物件で始めた店は、ことごとくうまくいかなかった。「設備投資を抑えて利益を取ろうとしましたが、小さなお金をいっぱい捨ててしまいました。居抜きだと、業態が変わった新しい店だということをお客さんに見せられない。出店すると決めたら、フル投資することにしました」

JC
40歳までの若手経済人から成る、啓発、交流、社会貢献などを目的とした社団法人。高松JCの会員数は114人(2013年12月時点)。

居抜き
店舗や工場を、設備・家具・調度などがついたまま売買または賃貸借すること。初期費用を抑えられ、早期に営業が開始出来る。

ライバル不在の店

外食産業は、景気に左右されやすく、移り変わりも早い。周りを見渡すと、生き残っている店の共通点は「誰も作れなかった店」だった。

ラーメン居酒屋でスタートした後、洋風、和風創作、焼肉など、様々な業態に挑戦し、「誰にも作れない店」を追い求めてきた。

今力を入れているのは、「支店長クラスの歓送迎会が出来る店」だ。客単価は、若者をターゲットにした全国チェーン居酒屋タイプの3000円以下ではなく、4000~5000円と少し高め。ある程度の高級感を持たせ、一般客、宴会客の両方を迎えられるよう、やはり100席以上を確保する。

「ライバルが少ないゾーンだと思うんです。客単価で上を見るとホテルがありますが、ホテル並みの接客やサービスが徹底できれば、さらにライバルは減ります」

10年ほど前から、原価率が30~40%とやや高い魚から、牛肉中心のメニューにシフトした。牛肉の流通ルートは複雑だが、ある生産農家から直接仕入れられる強固な信頼関係を築いた。原価率を抑えられる分、料理を安く提供出来る。牛肉は、平井さんの大きな武器となった。

「お祝い事などがあると、少し値段が高くても、すき焼きや焼肉を食べますよね。そんな非日常を普段から安く出す。誰も作れない店のひとつの形だと思います」

この先10年生き残りをかけて

多業態での店舗展開が特徴。和モダンな空間「酒と料理のなつ」(左・高松市瓦町)、昭和ムード漂うレトロなラーメン居酒屋「吾割安」

多業態での店舗展開が特徴。和モダンな空間「酒と料理のなつ」(左・高松市瓦町)、昭和ムード漂うレトロなラーメン居酒屋「吾割安」

刑務所・少年院の出所者を雇用する、法務省の協力雇用主制度に昨年登録し、現在2人を雇っている。

「若い頃からそういった免疫は十分にあります」

高校時代、暴走族に入っていたこともある。悪いこともかなりした、と笑う。「面倒見のいい兄貴」。そんな雰囲気が漂う。

ここ数年、街中で空き店舗が出れば、すぐに別の業者が店を出す、出店ラッシュが続いている。条件の良い場所を見つけるのは簡単ではない。今後は、県外への出店をさらに増やすことも視野に入れ、「この先10年で新たなシステムを作って切り替えていかないと、生き残れない」と話す。

信念に掲げるのは「つぶされない会社になる」こと。利益を出して成長し、雇用を生み、社会に貢献出来ていれば、地域に愛され、守られる。

「『あの会社はつぶせないぞ』となれるよう、地域とうまく共存していきたいですね」

平井 利彦 | ひらい としひこ

1958年 6月23日生まれ 旧満濃町出身
    尽誠学園高校卒業後、繊維会社、飲食店勤務などを経て
1984年 3月 高松市福田町でラーメン居酒屋「吾割安」創業
1987年 3月 有限会社ひらい 設立
1995年 12月 株式会社平井料理システムへ組織変更

現在、香川、愛媛、徳島、岡山、兵庫の5県で19店舗を展開
社団法人日本フードサービス協会理事
宇多津町行政外部評価委員
キッス調理技術専門学校非常勤講師

写真
平井 利彦 | ひらい としひこ

株式会社 平井料理システム

所在地
高松市塩屋町5-4
TEL:087-823-3882
FAX:087-823-3877
設立
1987年3月31日
資本金
3950万円
従業員数
232名(男159名・女73名)
業務内容
飲食店経営、飲食関連コンサルタント業務、イベント、ケータリングサービス
社団法人日本フードサービス協会 正会員
確認日
2018.01.04

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