母の話

香川県教育委員会 教育長 工代 祐司

column

2020.04.16

母が言う。「『おめめがみえない』。それが幼い弟の最後の言葉だった。あっけなかった。その後すぐ祖母が逝った。子どもと年寄りは抵抗力がないからねえ」

昭和21年、今から74年前、三豊、綾歌、坂出、大川郡などで赤痢が蔓延した。母は6人家族だった。そのうち母の祖母、父、母、二人の弟の5人が感染し、本人だけが罹患を免れた。父は隔離され、その間に祖母と弟が亡くなった。「私ひとりで二人の葬式をだした。疫病の家には誰も来んから」。当時、彼女は14歳だった。

昭和20年の終戦後、国土の荒廃、劣悪な食糧事情、不衛生な環境に加えて海外からの引揚者、復員者などにより、県内各地で様々な伝染病が発生した。昭和20年10月、香川県は、復員に伴う疾病予防に関して、「外地よりの帰還者ありたる場合は帰還後14日間の健康査察を行うこと」を定めたとある(香川県史第7巻)。

新型コロナウイルスの感染拡大が止まらない。県内の学校も3月初めからの臨時休校、春季休業を経て、4月6日、5週間ぶりに学校再開となった。しかし、日々状況は変わる。十分な警戒と早急な対策を怠ってはならない。

「なぜ、家でいなきゃいけないの?」「なぜ、カラオケもコンサートもダメなの?」
「夏のインターハイにかけているのに!」「勉強が遅れる。焦る!」。今、教育現場の最も重要な役割は、学校の安全対策はもちろんのこと、先人たちがいかに困難と対峙してきたかも含め、子どもたちの疑問や苛立ちに対して共に考え学んでいくことだろう。世の中には不条理なことが山ほどあるのだ。

母の話は初めてではなかったと思う。申し訳ないが右から左だった。しかし、今回は心に響いた。時代は繰り返す。親の話は真摯に聞いておかなければならない。

「家族の看病で長いこと学校休んだから、女学校の数学が分からんようになってしもた」。はにかむように口元が緩んだ。母もまたいくつもの理不尽を乗り越えて生きてきたのだ。

香川県教育委員会 教育長 工代 祐司

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