高性能エンジンが 世界の海を巡る

マキタ 社長 槙田 實さん

Interview

2015.09.17

瀬戸内海に面した高松市朝日町に本社を構えるマキタは、世界トップシェアを誇る小型船舶向けのエンジンメーカーだ。貨物船など3万トンクラスの船の約3割がマキタ製のディーゼルエンジンを積み、世界の海を巡っている。

マキタのエンジンは船体よりも頑丈だと評判だ。世界市場でベストセラーになったエンジンも造った。しかし、3代目社長の槙田實さん(66)は「決して順風満帆ではなかった」とこれまでを振り返る。

造船不況、大量の人員整理・・・・・・数々の試練を揺るぎない信念で乗り越えてきた。

「世界の物流の7割は海運業が担っている。船の需要は絶対に無くならない。続けることで道は開けるはずだ」

環境に優しく、低燃費で高出力・・・・・・世界に誇る技術力でマキタは最先端エンジンを造り続ける。大きさは3階建てのビルとほぼ同じで重さは約200トン。巨大なエンジンを積み込み瀬戸内海から出航していく船は国境を越え、これからも世界経済を支えていく。

2度の転機で世界トップへ

マキタでは現在、新型エンジンの製造を進めている。小型船舶向けでは国内初となる電子制御型エンジンだ。シリンダーの動きに合わせて燃料噴射のタイミングや量をコントロールし、排ガス中の窒素酸化物(NOx)を除去する装置も連動させる。これまでの機械式エンジンよりも燃費が約3%向上し、年々規制が強まるNOxの排出量も大幅に抑えられる。「船舶エンジンは昨年辺りから過渡期に入っています。環境問題への対応や省エネなどマーケットがどういう船を望み、それによってどういうエンジンが必要になってくるか、各メーカーが知恵を絞り合っています」

1910(明治43)年の創業から1世紀余り。マキタの成長は技術力の向上とともにあった。香川の小さなメーカーが世界のトップへ駆け上がるまでに2度の転機があったと槙田さんは語る。「三井造船との提携と、新エンジン『6L35MC』の開発です」

創業以来、オリジナルエンジンの開発に力を注いできた。機械工場の拡張など設備投資も積極的に行った。「エンジン製造の実績や、良い機械を持っていたことが提携に繋がったんだと思います」。73年、日本最大手の三井造船と技術援助協定を結んだ。三井造船が持つ小型船舶部門のエンジンの組み立てを一手に任され、業績が飛躍的に拡大した。「当時は他の大手からも提携話がありました。他社と組んでいたら今の会社は無かったかもしれない。運も良かったんでしょうね」

82年、三井造船と、協力関係にあったデンマークの大手MAN B&W社と3社で開発した新エンジン6L35MCが完成した。時代を先取りした画期的な省エネエンジンだった。「ピストンが稼働するストロークを長くすることで、小さな動力で大きな出力を生み出すことに成功しました」

6L35MCから始まったMCシリーズはヨーロッパや中国などの船にも積まれ、他社も「造りたい」と手を挙げた。マキタの存在を世界に知らしめるロングセラー商品となった。

しかし、大きな壁がすぐ目の前で待ち構えていた。数年後、世界的な造船不況が業界全体を襲った。


ベストセラーになったMCシリーズ エンジンの第1号機「6L35MC」 マキタ本社上空から。右上と左下の青い屋根の建物が新設・拡張した工場

ベストセラーになったMCシリーズ エンジンの第1号機「6L35MC」
マキタ本社上空から。右上と左下の青い屋根の建物が新設・拡張した工場

エンジン一本でやっていく

「造船景気は2年良くて8年悪い、10年周期と言われています」

80年代後半、造船不況の波が押し寄せていた。船舶の供給過剰を背景に世界中で建造数が激減した。船が造られないとエンジンも必要とされない。槙田さんが、家業だったマキタ(当時は槙田鐵工所)に入社して5年後の87年、通常は年間に約50台のエンジンを造っていたが、この年はわずか5台。常務だった槙田さんは全従業員を集めてこう告げた。

「みなさん、残るも地獄、去るも地獄。ゼロから会社をやり直さなければなりません」

会社に残ったとしても給料の大幅減は避けられない。希望退職者を募るなどして200人いた社員を100人にまで減らした。「これほどつらいことはありませんでした。何年もかけて技術を磨いてきた人たちに辞めてもらわなければならない。こんな酷いことは二度とやってはいけないと心に誓いました」

廃業に追い込まれた同業者も多かった。槙田さんはリスクを分散させる必要性を感じ、ゴルフクラブのヘッドを造るチタン鋳造や、産業用のプレス加工にも乗り出した。しかし、どれもうまくは行かなかった。改めて槙田さんはエンジン一本でやっていく覚悟を固めた。「残存者利益の追求です。造船業は成長産業ではありませんが、物流の需要は決して無くならない。新規参入が難しい業界なので、生き残りさえすれば勝てると考えました」

海運市況が上向いていた2007年頃、槙田さんは5面同時に効率良く作業出来る最新式の加工機を3台導入し、250トンのエンジンを積み出せる組み立て工場も新設した。「当時の売上は約50億円でしたが、60億円をかけて設備投資をしました。近く造船ブームが来ると見て、やるなら今しかないと踏み切りました」

この業界は何が起こるか分からない、そこまでやって大丈夫か・・・・・・経営幹部はこぞって反対した。しかし、槙田さんは考えを曲げなかった。生き残るための決断だった。そして、読みは的中した。中国や東南アジアの経済成長などに伴う造船バブル。売上は一気に150億円まで伸びた。「一昨年頃まで好況は続きました。今の業界の景気はやや下向きですが、投資はやって良かったと思っています」

戦いを略し生き残る

ディーゼルエンジンは6000個の部品で出来ている。それらを組み合わせて圧縮空気を送り込むと、大きな鉄の塊が自ら動き出すという。「命が宿るということを実感出来る瞬間です。ディーゼルエンジンの醍醐味ですね」

根っからの技術者だった創業者の祖父、営業力に長け、三井造船との提携を実現させた先代の父、二人の経営者の背中を追い、マキタを世界のトップ企業に育てた。41歳で社長になって25年。槙田さんは来年、31歳の息子・裕(ゆう)さんに会社を任せようと考えている。

「エンジンはディーゼルの時代から、モーターやLNG(液化天然ガス)に変わろうとしています。会社も常に変化していかなければならない。トップが変わらないと会社は変われません」。裕さんに引き継いでおきたい思いがある。「経営に必要なのは戦略です。戦略とは戦いを略すこと。無駄な競争はせずに、場面と状況を見ながら誠実に対応していく。それが一番だと思います」

命を宿したエンジンが大きな船を動かし、世界中の海を巡る。その光景を思うと我が子を見守るような感覚になると嬉しそうに話す。

「アフリカやインドはこれから経済が伸び、世界的にも物流は毎年3~4%は増えていくでしょう。生き残ってさえいればマーケットをつかむチャンスはまだまだあると思っています」

◆写真撮影 フォトグラファー 太田 亮

槙田 實 | まきた みのる

1948年 高松市生まれ
1973年 慶應義塾大学工学部(現理工学部)卒業
    三井造船 入社
1982年 槙田鐵工所(現マキタ)入社
1990年 マキタ 代表取締役
日本船舶品質管理協会会長
四国海運造船団体協議会会長
四国海事広報協会会長
四国船舶工業会会長 など
写真
槙田 實 | まきた みのる

株式会社マキタ

住所
香川県高松市朝日町4-1-1
TEL:087-821-5501(代表)
事業の概要
船舶用ディーゼルエンジンの製造・販売
資本金
1億円
社員数
276名
地図
URL
http://www.makita-corp.com/
確認日
2018.01.04

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