技術でリスクを 乗り越える

三和テスコ 専務 村本 修さん

Interview

2015.12.03

三和テスコは、エンジンベッドと呼ばれる船のエンジンの底の部分や熱交換器、ロケット発射台の関連部品まで、鉄に関わる様々な製品を作っている鉄工所だ。エンジンベッド製造では国内トップクラスのシェアを誇る。

まもなく創業100年を迎える老舗企業だが、これまでの道のりは決して平坦ではなかった。2001年、三和テスコは経営破たんした。「大手から流れてくる下請けの仕事が売上の大半を占めていました。生ぬるい体質であぐらをかいていたんでしょうね」

2年後、広島県福山市の環境機器販売会社ポエックの傘下に入り、三和テスコは再スタートを切った。

「リスクに立ち向かっていかなければ絶対にチャンスは生まれません」

どん底を味わい、会社を一から立て直した専務の村本修さん(58)は下請けからの脱却を目指し、自信を持つ技術力で三和テスコ発のものづくりに挑んでいく。

独自のニッチ製品で攻める

先月24日、H2Aロケットが鹿児島県の種子島宇宙センターから打ち上げられた。初めて商業衛星を搭載し注目されたこの打ち上げ、ロケットを発射台で直立させるための足元の部品には三和テスコの製品が使われていた。

「鉄で出来ているものは何でも作ります。溶接や加工技術には特に自信があります」

村本さんは今、二つの自社製品に力を入れている。一つはスプリンクラーや消火栓に水を送る装置「ナイアス」だ。病院、老人ホームや介護施設向けの非常用消火設備で、火災時にポンプを回してタンク内の水を送り出す。これまでにも同じ機能を持つ放水装置はあったが、他社製品は電気で動くためポンプの横に発電機がついた大掛かりなものがほとんどだった。三和テスコ社製は窒素ガスの圧力を加えて稼働する、電力を必要としない画期的な商品だ。「停電していても動きます。震災時に強いというのが最大のウリです」

一昨年10月、福岡市の診療所で火災が発生し10人が亡くなった。これを受けて消防法が改正され、全ての病院や診療所にスプリンクラーの設置が義務付けられた。ナイアスのシェアはまだ全体の1割にも満たないが、「ここ数年で販売数も伸びてきました。低コストでコンパクトに設置出来る製品として年間100台の販売を目指しています」

もう一つの主力製品は熱交換器だ。熱交換器とは加熱や冷却が必要な機器の熱をコントロールする装置で、ボイラー、冷凍庫、エアコンや発電設備など用途は幅広い。三和テスコでは、マイナス80℃からプラス400℃まで耐えられる、頑丈で高性能な熱交換器の技術をフィンランドのバーテラス社と業務提携し、年々売上を伸ばしている。「我が社と同じ方式の熱交換器は国内にはありません。ナイアスも熱交換器もニッチな製品でシェアはまだわずかですが、二番煎じではないからこそ価値があると思っています」

ものづくりを追求し、独自の製品開発に挑んでいく。それが、村本さんが経営破たんを経験して得た最大の教訓だ。
主力製品の「プレート&シェル熱交換器」

主力製品の「プレート&シェル熱交換器」

もらう仕事より作る仕事

「一番の原因は会社の体質を変えられなかったことに尽きると思います」

2001年11月、三和テスコは民事再生法の適用を申請した。当時の社長が菓子販売など異業種の事業に乗り出して失敗し、本業の足を引っ張ったのも原因の一つだが、村本さんは下請けに安住していた自分達にも責任はあったと振り返る。

三和テスコは1918年の創業以来、特殊な溶接技術や加工技術を強みに業績を伸ばしていった。中でもタンク製造や鋼板加工などの製缶技術は業界でも指折りで、三井造船や三菱重工などの大手から次々と注文が入ってきた。「他では出来ないから頼みたい、他では心配で任せられないからお願いしたいというのが多かったです。売上のほとんどが下請けの仕事でした」。しかし、そこに落とし穴があった。「世間の荒波と関係のないところで仕事をしていたので、コスト競争力に欠けていました」。バブル崩壊の数年後、業界の景気が一気に冷え込み、受注額が大幅に下がった。しかし、自社でコストカットが出来なかった。仕事を受ければ受けるほど赤字が膨らんでいった。「その悪循環で泥沼にはまりました」

当時、村本さんは事業部長だった。借金が大幅に減額される民事再生法の申請後、社長と一緒に孫請けの取引先を謝罪して回った。その記憶は今でも鮮明だ。「だましたんちゃうか、分かっててやったんちゃうか、と怒鳴られて説教されて・・・・・・4時間も5時間も帰してもらえないこともありました。つらくて申し訳ない思いでいっぱいでした」

発注元に左右される下請けに伸びしろは少ない。もらう仕事ではなく作り出す仕事をしなければならないと痛感した。そしてもう一つ、経営破たんして分かったことがあった。

「技術があれば生きていける。私達に生きていく力はあるんだと再確認しました」

倒産した後、村本さんら会社に残った社員は目の前にある仕事を黙々とこなしていった。仕事はいつ無くなるか分からない。仕事がある限り働こう。そう声をかけ合って残業もし休日出勤もした。しかし、ポエックが三和テスコを買収する2003年3月までの1年4カ月の間、仕事が途切れることは無かった。「当時は30社ほどと取引がありましたが、倒産で関係が途切れた会社は1社もありませんでした。きちんとした仕事をしていれば信頼してもらえる。それは大きな自信にもなりました」

その技術力を評価したのが、事業拡大のため自社で製造・開発部門を持ちたいと思案していたポエックだった。三和テスコの社長はポエックの来山哲二社長が兼務しているが、買収のタイミングで役員になった村本さんが三和テスコの実質的な経営を任されている。

「残って良かった」のために

石油精製の際、不要なカーボンを除去する装置を作る会社は世界に3社しかない。このうちの1社が三和テスコだ。また、大分・由布院温泉の地熱発電システムには三和テスコの熱交換器が使われている。「ニッチで面白い独自製品がいろいろ生まれています。今はまだ売上の3割が自社製品の仕事ですが、それを6割まで持っていきたいと思っています」

下請けとは違う新たなものづくりにはリスクがつきまとう。しかし、技術があればリスクは乗り越えられる。来山社長と共に掲げる村本さんの信念だ。「形のないものが形になる。ものづくりほど面白いものは他には無いですね」

会社が倒産した時、3割の社員は会社を見捨てて離れていったが、7割の社員は自分を信じてついて来てくれた。「残った人と辞めていった人、どちらが良かったのかというのは今でもものすごく気にしています」。だからこそ社員みんなで同じ方向を向き、一緒にものづくりを追求していく。

「残って良かったと感じてもらえること。それが、一度つぶれた会社を引き継いでやっていく私の責任だと思っているんです」

村本 修 | むらもと おさむ

1957年 北海道札幌市生まれ
1979年 高松工業高等専門学校 機械科(当時)卒業
1981年 三和鉄工(当時)入社
2001年 第一事業部長
2003年 常務取締役
2011年 専務取締役
2015年 代表取締役専務
写真
村本 修 | むらもと おさむ

株式会社 三和テスコ

住所
高松市朝日町4丁目11番67号
TEL:087-821-4431
FAX:087-822-4919
代表取締役
来山哲二
資本金
1000万円
従業員
85人
売上
16億円
事業内容
船舶用ディーゼルエンジンベッド製作
各種プラント設計・製作、ナイアス製作
プレート&シェル熱交換器製作 他
沿革
1918年 創業
1948年 株式会社木目鉄工所 設立
1955年 三和鉄工株式会社に改称
1992年 株式会社三和テスコに改称
2001年 民事再生法の適用を申請
2003年 ポエック株式会社が買収、ポエックグループに
確認日
2018.01.04

記事一覧

おすすめ記事

メールマガジン登録
メールマガジン登録
ビジネス香川Facebookページ