席を確保するため、宇野駅から急ぎ連絡船に向かう。疲れている時は椅子の座席ではなく、横になれる広間の場所を確保。そして、甲板デッキにあるうどん屋に行く。四国の人々に、帰郷を実感させる味であった。高松港が近くなると、乗り換えをする人は、出発する接続列車の席を確保するため、赤灯台を横目に下船口に並ぶ。船が着けば、我先と急ぎ列車まで向かう。私は高松駅で降りるため、高松駅舎前の花時計横をすり抜けて帰っていた。
今思うと懐かしくもあるが、やはり不便であった。濃霧のため運休することも度々あった。運休すると旅人の足だけでなく、全国紙の新聞の配達まで止まってしまった。瀬戸大橋が完成してからはそのようなことはなく、快速電車で瀬戸内の美しい島々の風景を見ながら、快適に旅することができるようになった。
1955年に起こった、修学旅行中の児童を含む168名が死亡した紫雲丸事故をきっかけに、大橋建設の機運が高まったことは周知の事実であるが、礎となる構想がそれ以前から提唱されていたことをご存知だろうか。事故から66年前の1889年、香川県議であった大久保諶之丞が提唱したのが始まりであるが、諶之丞は「100年先を見通す公正かつ遠大な考えを持つべきである」と述べている。香川(四国)の将来について、100年先を見越した大局的な見地で物事を考えていくことは、今も変わらず求められているのではないだろうか。
今年、瀬戸大橋は開通30年を迎え、式典や花火の打ち上げなど様々なイベントが予定されている。また、昨年12月には「日本の20世紀遺産20選」にも選ばれ、勲章が新たに加わり、盛り上がりをみせている。
今、四国新幹線の整備促進期成会が結成され、早期実現の声があがっている。瀬戸大橋が新幹線仕様となっているからこそ、こういう声があがるのであり、改めて先人の礎、道(瀬戸)標に光明を見出していくことが重要ではないかと考えている。
四国地方整備局長 平井 秀輝
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