甚右衛門は、幕末の安政2年(1855)に、多度津の回船問屋大隈屋の5代目として生まれました。若い頃、自家の千石船に乗って上京したとき、新橋~横浜間を走る汽車を目にし、讃岐に鉄道を開設する決意をします。明治18年、29歳のときに計画し、4年かかって開通させました。開通時の機関車はドイツのホーエンツォレルン社製のタンクで、客車はマッチ箱のような型をしていました。貨客4両編成で、上、中、下等の3ランクに分かれ、今とは逆に琴平行きが上りになっていました。後には食堂車も走らせ、袴をつけた「女ボーイ」が給仕をしたそうです。
高松~丸亀間において鉄道が開通したのは明治30年のことで、当時の高松駅は現在の県立盲学校の場所にありました。讃岐鉄道の路線はその後国鉄に移管されたことから、多度津が四国の鉄道発祥の地とされています。明治43年には、岡山~宇野間が開通するとともに、宇高連絡船が開航し、ここから、高松の四国の玄関としての歴史が始まります。
奇しくも、香川の最初の路線で、百数十年後に観光列車の運行が始まったわけですが、当時と比べ、風景も宅地化の進展により大きく変容したと思われます。しかし、車窓から見える象頭山など讃岐の山々は昔と同じ姿をしており、観光列車に乗って山々を眺めていると、千年の悠久の時の流れに思いを馳せることができるかもしれません。
歴史ライター 村井 眞明さん
- 多度津町出身。丸亀高校、京都大学卒業後、香川県庁へ入庁。都市計画や観光振興などに携わり、観光交流局長を務めた。
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歴史ライター 村井 眞明さん
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