
牛額寺薬師堂にある月照の像
今の善通寺市碑殿町の天霧山南麓に牛額寺(ぎゅうかくじ)という寺があります。月照の生誕地については諸説がありますが、その寺の由来によると、文化10年(1813)同市吉原町下所で生まれたということです。そして、この寺の住職をしていた叔父・蔵海(ぞうかい)の弟子となり、後にその叔父が京都の清水寺成就院の住職となったことからその跡を継いで天保6年(1835)23歳で成就院の住職となります。
月照が幕末の動乱に巻き込まれていったのは、成就院が島津家とその姻戚関係にある公家の近衛家との連絡役を果たしており、島津斉彬(なりあきら)の側近として朝廷工作などに奔走していた西郷との親交が始まったことによるようです。島津斉彬が急死した時には、殉死しようとした西郷を月照が諫めています。
安政5年(1858)9月から安政の大獄が始まり、京都では尊王攘夷運動に関わった者が次々と捕縛され始め、月照も追われる身となります。それを危惧した近衛忠熙(ただひろ)は西郷にその護衛を託し、月照は西郷と共に薩摩に逃れます。しかし、斉彬の死後、薩摩藩の方針は大きく変わっており、幕府から睨まれることを恐れ、月照を日向口(ひゅうがぐち)から追放することとします。それは、“死”を意味していました。
西郷は月照を連れ、一路日向に向けて鹿児島錦江湾の海に船を漕ぎ出します。そして、船が湾の沖合いを過ぎた時、突然、月照と共に海に身を投げます。それが自分を信頼してくれた月照に対するせめてもの義であったのでしょう。しかし、月照だけが死して、西郷は奇跡的に一命を取り留めます。安政5年(1858)11月16日のことです。この後、西郷は奄美大島へと流されます。
讃岐人気質の特徴の一つとして「へらこい」という言葉がありますが、それと真逆の人物もいたというのは心強いものです。
歴史ライター 村井 眞明さん
- 多度津町出身。丸亀高校、京都大学卒業後、香川県庁へ入庁。都市計画や観光振興などに携わり、観光交流局長を務めた。
- 写真
歴史ライター 村井 眞明さん
おすすめ記事
-
2023.06.01
美濃から来讃した生駒氏
シリーズ 中世の讃岐武士(34)
-
2023.04.20
九州で島津軍と戦った讃岐武士
シリーズ 中世の讃岐武士(33)
-
2023.03.02
秀吉軍と戦った讃岐武士
シリーズ 中世の讃岐武士(32)
-
2023.02.02
土佐武士の讃岐侵攻⑥(東讃侵攻)
シリーズ 中世の讃岐武士(31)
-
2022.12.15
土佐武士の讃岐侵攻⑤(十河城包囲)
シリーズ 中世の讃岐武士(30)
-
2022.11.03
土佐武士の讃岐侵攻④(香西氏の降伏)
シリーズ 中世の讃岐武士(29)
-
2022.10.06
土佐武士の讃岐侵攻③(中讃侵攻)
中世の讃岐武士(28)
-
2022.03.17
イリコの島に残る戦国秘話
中世の讃岐武士(23)
-
2022.02.17
三好の畿内奪還の戦いで信長軍と対峙した讃岐武士
中世の讃岐武士(22)
-
2021.12.16
讃岐を支配した阿波の三好氏
中世の讃岐武士(20)
-
2021.11.18
東讃から始まった讃岐の戦国時代
中世の讃岐武士(19)
最新紙面情報
Vol.412 2025年08月21日号
「ここに来て良かった」 生徒一人一人に寄り添って
学校法人村上学園 理事長 村上学園高等学校 校長 村上 太さん
モニタリングの知見を生かし 地域と「顔の見える対話」を
日本銀行 高松支店長 稲村 保成さん
諸機関と柔軟に連携し 四国の中小企業に寄り添う
独立行政法人 中小企業基盤整備機構 四国本部長 田中 学さん
まち全体を一つの「宿」に見立て 古民家を核に日常風景の魅力を発信
NIO YOSUGA 代表取締役 竹内 哲也さん/菅組 社長 菅 徹夫さん
生徒の「やってみたい」が地域とつながる 進化するボランティア団体「TSUNAGU」
大手前丸亀中学・高等学校