西郷隆盛と親交のあった勤王僧

香川県中小企業団体中央会 村井 眞明

column

2018.01.18

牛額寺薬師堂にある月照の像

牛額寺薬師堂にある月照の像

今年のNHK大河ドラマは「西郷どん」ですが、この物語の中で月照(げっしょう)という僧が登場します。尾上菊之助さんが演じるそうです。この僧は、尊王攘夷派の人で、西郷隆盛と共に入水したことで知られています。

今の善通寺市碑殿町の天霧山南麓に牛額寺(ぎゅうかくじ)という寺があります。月照の生誕地については諸説がありますが、その寺の由来によると、文化10年(1813)同市吉原町下所で生まれたということです。そして、この寺の住職をしていた叔父・蔵海(ぞうかい)の弟子となり、後にその叔父が京都の清水寺成就院の住職となったことからその跡を継いで天保6年(1835)23歳で成就院の住職となります。

月照が幕末の動乱に巻き込まれていったのは、成就院が島津家とその姻戚関係にある公家の近衛家との連絡役を果たしており、島津斉彬(なりあきら)の側近として朝廷工作などに奔走していた西郷との親交が始まったことによるようです。島津斉彬が急死した時には、殉死しようとした西郷を月照が諫めています。

安政5年(1858)9月から安政の大獄が始まり、京都では尊王攘夷運動に関わった者が次々と捕縛され始め、月照も追われる身となります。それを危惧した近衛忠熙(ただひろ)は西郷にその護衛を託し、月照は西郷と共に薩摩に逃れます。しかし、斉彬の死後、薩摩藩の方針は大きく変わっており、幕府から睨まれることを恐れ、月照を日向口(ひゅうがぐち)から追放することとします。それは、“死”を意味していました。

西郷は月照を連れ、一路日向に向けて鹿児島錦江湾の海に船を漕ぎ出します。そして、船が湾の沖合いを過ぎた時、突然、月照と共に海に身を投げます。それが自分を信頼してくれた月照に対するせめてもの義であったのでしょう。しかし、月照だけが死して、西郷は奇跡的に一命を取り留めます。安政5年(1858)11月16日のことです。この後、西郷は奄美大島へと流されます。

讃岐人気質の特徴の一つとして「へらこい」という言葉がありますが、それと真逆の人物もいたというのは心強いものです。

歴史ライター 村井 眞明さん

多度津町出身。丸亀高校、京都大学卒業後、香川県庁へ入庁。都市計画や観光振興などに携わり、観光交流局長を務めた。
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