2007年、香川県漁連会長の服部郁弘(いくひろ)さん(65)が、全国漁業協同組合連合会(全漁連)会長に就任した。水産物の輸入が増え、燃料費は上昇の一方。魚価は低迷。廃業する漁民が増え、高齢化と後継者不足が追い打ちをかける。漁業資源も減少気味。そんな中で、世界有数の「水産国日本」が負けず嫌いの才覚を求めたのだ。
中学を出て父と一緒に漁船に乗った。活魚を船で各地の市場に運んだことから商売の機微に目覚めた。養殖漁業で赤潮災害に苦しみ、人知の及ばない自然から生き方を学んだ。約束を守り、期待に応えて信頼を得た。
引田漁協の組合長になった1993年、服部さんの漁師人生は急激に「潮目」が変わり始めた。
※香川県漁連
香川県漁業協同組合連合会。売上高452億2千万円(2009年度実績)、北海道魚連に次いで全国第2位の規模。
※引田漁協
引田漁業協同組合。
※活魚
生きたままの状態で、いけすで飼われ消費者に提供される魚介類。
全漁連の原点は「浜」
「でも以前の全漁連は、利益の出る燃料に頼っていたんです。漁民の組織なのにおかしい。魚を中心にしようと組織改革に取り組んでいたんです」
2004年、全漁連の理事になった服部さんを、前任の植村正治会長が、組織の要、総合政策部会の部会長に据えた。服部さんは経営を立て直すため、中期経営改善計画策定を主導した。初年度の06年に、前年度の赤字から一気に4億円の経常利益を計上、翌年の役員改選で全漁連新会長に選出された。
「魚の販売事業はまだこれから。東京にいてもダメだ、漁師の原点の『浜へ行こう』とよびかけたんです」。去年は、5つの県漁連で、仲買人があまり手を出さない魚を全漁連が買い取った。鮮魚で売れるもの、加工するもの、餌にするに仕分けしたのだ。「5億円ぐらいの扱い量になりました。今年はさらに四つ五つの県魚連が参加すると思います」。主な販売先は全国の生協や農協だ。
「商売は個人でも漁連でも同じです。『ひとりでもうけるな、相手にもうけてもらって、長く続ける』が、私のやり方です」。若い頃から活魚を売って得た服部さんの信念であり知恵だ。
信用はついてくる
「養殖業者は多いのに、魚を販売する業者がいないと事業計画を説明したら、大石一海(かずみ)参事が、『面白い』と言って何の取引もなかった私に1千万円借してくれたんです」
保証人は仲人で仕事の親方、池本鹿義(しかよし)さんが引き受けてくれたが、まだエンジンの据付に420万円必要だった。
「三菱重工のエンジンを扱う四国機器(株)へ行って、頭金がありませんと言ったら、当時の社長で、いま会長の木村寿男(としお)さんが、1カ月10万円、42枚の手形を受けてくれたんです」
当時は、生産者から魚を買って市場へ売る専門業者が少なかった。香川県漁連も服部さんより1年後から始めた。魚の委託販売は、価格が1㎏当たり100円でも違うと、餌代や金融機関への支払いなど経営に影響する。養殖業者の信頼を得ないと成り立たない商売だ。
「競争相手より10円でも魚を高く買う。負けず嫌いですから、競争なしで10万円儲かるより、相手に勝つことがうれしいんです。手形も1日も遅れることなく毎月落としました」
約束を守ったら信用はついてくる。服部さんは支援者の期待に応えて「信頼」を得た。
※活魚運搬船
魚を生きたまま運ぶために、船内のいけすに海水を直接取り込めるような構造の船
※信漁連
香川県信用漁業協同組合連合会。貯金・貸出・為替などを取扱う協同組織金融機関。主に地域の漁業に密着した事業を展開している。
苦い経験
「家で寝ていたら夜中の2時に、『魚はどうなっているんや』と仲買人から電話がかかってきたんです。届ける日を間違えたんです」
電話でその仲買人に頼んで、大阪で買い付けてもらって納めた。3割高く付いた。「あんたのミスやけど、しょうがないなあ。損はこちらで半分かぶるよ」。仲買人が言ってくれた。その相手と今も、長い取引が続いている。
培ってきた「信頼」に助けられたが、約束の厳しさを思い知った。損害は6百万円だった。
潮目が変わり始めた
「代々の会長さんは立派な人ばかりです。6~700億円も扱う組織のトップは無理だと思ったんです」
丸亀市出身の元農水事務次官 鶴岡俊彦さん(故人)の一言に背中を押された・・・・・・「何かできるから、このポストに座らされたんだろう」
「私は漁師で商売人です。漁業の現場は歴代の会長よりも詳しい。自分がやれることをやろうと決意しました」。そして組合員のためになることだけをやると決めた。
「組合員のためならたとえ失敗しても、許してくれるでしょう。しかし自分の利益を優先して失敗したら、絶対に許してくれません。これは全漁連会長も同じです」
理に適(かな)っている。「ひとりでもうけるな・・・・・・」と根っこは同じ、服部さんの仕事の流儀だ。
※鶴岡 俊彦
元農林水産事務次官、元農林漁業金融公庫総裁
ハマチ3兄弟
「何度も赤潮被害で失敗しましたが、やっと3年前に引田ブリが、1年遅れでオリーブハマチが商標登録できました。長男の引田ブリ、次男の直島ハマチ、三男のオリーブハマチと、『ハマチ3兄弟』で全国的に名前が通るようになりました」
首都圏へ販売を強化するため、神奈川の久里浜と岬の2カ所に、活(い)け絞(し)め拠点を構えて出荷している。
※活け絞め
活魚を麻痺させて血抜きをして、鮮度を保つ方法。自然死させた場合より長期間鮮度を保つことができ、また味も良くなる。
仕事ぶりが感動を呼ぶ
「仕事が楽しいんです。若い頃の底引き網漁は楽ではありませんでしたが、どんな魚が入っていっているかわくわくする。早く網を引き上げるから捕れる数が少ない。それでも楽しくてしょうがなかった。どんなに苦しい仕事でも、やり遂げる満足感が楽しくて、うれしいんです」
仕事を楽しむ人の仕事ぶりは、どこか美的な芸術活動に似ている。人を惹(ひ)きつけ魅了する。服部さんは仕事に没頭する。遠く離れてしまった船を夢見ながら・・・・・・。
赤潮被害
この時初めて天災融資法が適用されて、160万円の融資を受けた。その後も赤潮には苦しめられた。77年、78年、86年、95年と2003年、合計6回も赤潮被害にあった。
77年の赤潮のとき、朝6時から出荷しようと運搬船を手配して、翌朝漁場へ行ったらいけすがない。
「死んだ魚の重みで沈んだんです。呼んでいた運搬船に帰ってもらいましたが、死んだ直後ならまだ何とかなると思いました。自前の運搬船のアンカーに引っかけて、いけすを引き揚げてみたら魚の色はまだ変わっていない。身をさばいて大丈夫だと確認できた」
家族、親戚総出で冷蔵庫へ運んだ。時間との戦いだった。午前中に半分ほど引き揚げて、後は諦めた。同業者は、遠くから荷揚げを見ていただけだった。
「相場の4分の1ほどの値段がついて、500万円ぐらいのお金が入りました。損をした時のお金は、普段より数倍の値打ちがあります。損をいかに小さくするかが商売で一番大事です」
諦めていたら1円にもならなかった。諦めないで何でもやってみるべきだと学んだ。
服部 郁弘 | はっとり いくひろ
- 1945年 東かがわ市引田生まれ
1993年 引田漁業協同組合 代表理事組合長
1995年 香川県漁業協同組合連合会 理事
1996年 香川県漁業協同組合連合会 代表理事副会長
2002年 香川県漁業協同組合連合 代表理事会長
2004年 全国漁業協同組合連合会 理事
2005年 香川県信用漁業協同組合連合 代表理事会長
2007年 全国漁業協同組合連合会 代表理事会長
現在に至る - 写真
①香川県漁業協同組合連合会 / ②全国漁業協同組合連合会
- ①所在地
- 高松市北浜町8-25 漁連会館
TEL 087-825-0350(代) - ②所在地
- 東京都千代田区内神田1-1-12 コープビル7階
- 売上高
- 976億円(2009年度)
- 設立
- 1952年
- 代表者
- 代表理事会長 服部郁弘
- 職員数
- 265人(2010年4月1日現在)
- 確認日
- 2018.01.04
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