サッカーの素晴しさをお話ししましょう ~香川を元気にするサッカーの力~

カマタマーレ讃岐 代表取締役会長 熊野 實さん

Interview

2011.04.21

「サッカーの面白さを一人でも多くの人に伝えて、Jリーグ100年構想を実現したい」・・・・・・団塊世代の自分でも、まだ夢が持てる。共感が目標に変わった。

「カマタマーレ讃岐」の会長 熊野 實(みのる)さん(63)は、高松市役所総務部長を辞めた1年後、仲間と資金を出し合ってNPO法人のサッカークラブを株式会社にした。

お金を使う〝お役所〟から、お金を工面する民間へ。経費はかさむし収入は増えない。「飛び込み営業をしました。『支援を』と言えず名刺を置いて帰る日が続きました」

3年後の去年12月、新監督 北野 誠さん(42)の采配で、全国地域サッカーリーグ決勝大会を、6試合負けなしの圧倒的な強さで優勝、四国社会人リーグからJFL昇格を決めた。

Jリーグ加盟へ準備が整った。熊野さんは、夢の実現に向かってシュートする

※Jリーグ
日本のプロサッカーリーグ。社団法人日本プロサッカーリーグが主催。

※Jリーグ100年構想
「スポーツで、もっと、幸せな国へ」のスローガンを掲げ、地域におけるサッカーを核としたスポーツ文化の確立を目指す計画。

※全国地域サッカーリーグ
全国リーグのJFLと都道府県リーグの間に位置する社会人リーグ。全国を9つのブロックに分け、おのおのの地域でリーグ戦を行う。

※四国社会人リーグ
全国地域サッカーリーグの9ブロックの一つ。 

※JFL
日本フットボールリーグの略称。企業や大学、地域のクラブチームなど計18チームが参加する日本アマチュアサッカー界の最高峰。この上にJ1、J2の2部で構成するJリーグがある。

仲間の思いが一つに

四国には徳島ヴォルティスと愛媛FCのJ2チームがある。岡山のファジアーノもJ2リーグに昇格した。香川は有望選手の草刈り場になっている。ますます地域間競争に後れをとる。

「よそに負けたらいかん。Jリーグを目指すチームを作って子どもたちに夢を与えないかん。とにかくやってみんか、やりながら考えんか」

収入を会費や寄付金だけに頼るNPO法人カマタマーレでは、チーム強化に限界がある。サッカーの力を信じる仲間の思いが一つになった。学生時代から共にプレーし、サッカー協会や地域の子供たちの指導にかかわってきた仲間が4000万円出資した。

2008年、資本金2000万円、資本準備金2000万円で、(株)カマタマーレ讃岐がスタートした。

※NPO法人カマタマーレ
NPO法人カマタマーレスポーツクラブ。高商OBサッカーチームとして創設。

※仲間
山下憲一(社団法人香川県サッカー協会会長)、香西幸夫(株式会社香西工務店代表取締役社長)、立本悟(立本歯科診療所所長)、広瀬友彦(医療法人社団研宣会広瀬病院院長)、増田勝(株式会社讃商代表取締役社長)、三木美國(株式会社エムビーエム代表取締役)、住谷幸伸(カマタマーレ讃岐代表取締役社長、元高松市議会議員)、西日本放送サービス株式会社

妥協しない人生を

熊野さんは大学時代にサッカーに魅せられた。高松市役所に就職したのもサッカーチームがあったからだ。「平日は仕事が終わってから練習、休日は試合や少年サッカーの指導で、サッカーひと筋でした」

仕事の手は抜かなかった。「給料は税金から出ているのですから、地域をより良くすることが公務員のポリシーです」。市民部長と総務部長も3年間ずつ6年務めた。

「疲れましたね。トップに近い役職はストレスもたまります。条例や法律の枠内での仕事に、若い時は反発もしました。結局、最後までお役所仕事にしっくりしなかったんです」

定年後の幹部に用意される処遇を目前に、妥協しない人生を送りたいと思った。共働きで看護師をしていた妻のとしゑさん(61)に相談した。

「子供も独立しましたし、自分の人生は自分で決めたらというんです」。目が潤んだ。2007年、定年1年前に辞表を出した。次に何をやるか、決めていなかった。翌年、仲間とカマタマーレ讃岐を株式会社化、推されて社長になった。

ボールを持ったら”王様”

ゴールキーパー以外手を使えないサッカーの魅力は、足でボールを自由自在に、「蹴る」「止める」「運ぶ」快感だ。

いかに相手の裏をかいて抜き去るか。右へ行く、と見せかけて左に。頭の上を通して後にボールを落とす。豹(ひょう)の俊敏さで体をコントロールする。ドリブルのだいご味だ。

サッカーは90分の重労働だ。一人でも選手の動きが止まったら、ゲームにならない。しんどいし、ミスもする。

「足にボールがなじみ始めたらサッカーは面白くなるんです。カーテンのようにちょっと足を引くと、寄り添うようにボールがピタッと止まります。シュートか、パスか、ドリブルか。ボールを持ったら〝王様〟だと子供たちに教えています」。決して多弁とは言えない熊野さんだが、サッカーに関しては能弁になる。元気よく早口になる。

サッカーは裾野が広い。アマチュアもプロも、各国のサッカー協会も〝FIFA〟の傘下だ。国連より多くの国や地域が加盟している。

※FIFA
国際サッカー連盟の略称。仏:Fédération Internationale de Football Association。世界で208協会が加盟する。国だけでなく、香港や、グレートブリテンおよび北アイルランド連合王国(イギリス)の加盟が認められるため、国際連合加盟国192か国を上回る。

Jリーグ100年構想

1993年、スタートしたJリーグの掲げた理念は新鮮だった。

*あなたの街に、緑の芝生に覆われた広場やスポーツ施設をつくること。

*サッカーに限らずあなたがやりたい競技を楽しめるスポーツクラブをつくること。

*「観る」「する」「参加する」。スポーツを通して世代を超えたふれあいの輪を広げること。

「明治以来、日本のスポーツは学校や企業が中心です。仕組みを変えないと地域に根付きません。誰でも気軽にスポーツを楽しめる環境を整えてはじめて、豊かなスポーツ文化ははぐくまれます。その中核にサッカーチームを置いて活動しようというのが、Jリーグ100年構想です」

スポーツを通じて地域を元気に変える、壮大な構想だ。「カマタマーレがJリーグに昇格すれば、地域が盛り上がります。その収益を還元して、地域に根差したスポーツクラブや組織が出来れば子供たちも夢を持てます」

熊野さんは、「地域のために」の思いを、役所の外でも全うしようと決意した。「Jリーグ100年構想」への共感が、次の人生の目標になったのだ。

サッカーの経済効果

JFL昇格を決めた地域リーグ決勝大会は、6試合負けなしで優勝を果たした。メディアが注目して知名度があがった。熊野さんはサッカーの経済効果を実感した。

「営業もやりやすくなったし、支援金も増えました。さらにチームがJリーグに昇格すると、地域を元気にする起爆剤になれます」。観客も入場料収入も増える。サッカーの力が香川を元気にする。

「サポーターは応援席で戦う選手です。チームと一緒に数十人、数百人が試合地へ移動しますから、相手チームのサポーターも全国から香川へやってきます」。観光やうどん業界と連携して、試合日の前後に、名所やうどんめぐりをセットするアイデアも実現しそうだ。

未来の日本代表のために

Jリーグ参入の道のりは遠くて険しい。戦績(JFL4位以上と入れ替わり)、経営面(年間収入1.5億円、スポンサー収入1億円以上)や、自治体、県サッカー協会などの具体的な支援、それにホームスタジアム基準、観客(平均3000人以上)の条件を満たさないと加盟できない。

スポーツビジネスは、Jリーグのチームでも経営が難しい。大分トリニータや横浜フリューゲルスなど経営危機になったチームは多い。

「18チームで34試合。ホームゲーム17試合の入場料が収入になりますから、地元でいかに多くの観客を獲得するかが課題です」。東日本大震災の影響で遅れたが、JFLでの戦いが4月29日から始まる。

Jリーグ100年構想は、日本のスポーツ構造を変える。「いま中学生のチームを作っています。中学や高校の先生が期待している優秀な子を、我々のクラブでも育成していくことになるんです」。熊野さんは、明治以来百数十年続いている学校体育との摩擦もあえて覚悟している。

「そのためなら、思いと足を使って努力します」。サッカーは香川の空き地から世界へ一直線につながっている。熊野さんの目も一直線だ。未来の日本代表になる子供たちに向かって・・・・・・。

「美しいサッカー」と「勝つサッカー」

就任1年目、高松市出身の北野 誠監督(42)の采配で、去年の四国社会人リーグでは37戦、34勝1敗2引き分け、ほとんど負け無しだった。

「全国地域サッカーリーグで、我々より力のある12チームに勝たないといけない。負けたらJFLへ上がれないんです」

3日連続で行われた1次ラウンド、決勝ラウンドとも2勝1PK勝ち。6試合全勝で地域リーグ決勝大会優勝を果たし、JFL昇格を決めた。

「サッカーは美しいものです。真ん中からも、端からも攻める。パスをつないで得点する。相手に1回も触らせずにボールをキープして点を取る。マラドーナの5人抜き。北野監督はそんな美しいサッカーを封印して『勝つサッカー』に徹したんです」。堅守速攻。固く守って、隙があったら点をとる「勝つサッカー」だ。

「今年は、強豪ばかりとのリーグ戦です。負けることも想定して試合を考えます」。前任のロアッソ熊本では、華麗なパスワークで戦ってきた北野監督。今年は「美しいサッカー」もお披露目するかもしれない。

※PK
ラグビー、サッカーで、「penalty kick」の略称。ラグビーでは、相手チームの反則によって与えられるキック。サッカーでは、ペナルティーエリア内で相手が反則をしたときに与えられる直接フリーキック。得点差がないときに、勝敗を決めるために行われる。

※マラドーナの5人抜き
1986年メキシコワールドカップ「アルゼンチン対イングランド」の試合で、ディエゴ・マラドーナが『伝説の5人抜き』ゴールをした。

※リーグ戦
いわゆる総当たり戦。

※ロアッソ熊本
熊本市にホームを置く、日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)に加盟するプロサッカークラブ。

熊野 實|くまの みのる

1948年 香川郡塩江町(現高松市塩江町)生まれ
1972年 岡山大学卒業
    高松市役所入庁
2007年 総務部長を最後に高松市役所を退職
2008年 (株)カマタマーレ讃岐代表取締役社長に就任
2011年 社長を退任し、代表取締役会長に就任
現在に至る
写真
熊野 實|くまの みのる

株式会社カマタマーレ讃岐

所在地
<旧>高松市観光通1丁目1-16中山ビル5F
▼2011年4月18日より新住所に移転
<新>高松市西春日町1059-13
TEL 087-867-3280(変更ありません)
FAX 087-887-3327(変更ありません)
設立
2008年
代表者
代表取締役会長 熊野 實
代表取締役社長 住谷 幸伸
資本金
2000万円
株主
個人、法人を含めて9株主
事業内容
サッカー及び各種スポーツ競技の興行
並びにサッカークラブの運営
チーム沿革
1956年 高商OBサッカークラブとして創設
1977年 第1回四国社会人リーグに参戦
1991年 香川県国体強化指定チームとなり名称を香川紫雲(かがわしうん)フットボールクラブに変更
2000年 サンライフ5年間のスポンサー契約。名称をサンライフフットボールクラブに変更
2005年 サンライフとのスポンサー契約終了。高松フットボールク ラブ設立。名称を高松フットボールクラブに変更
2006年 カマタマーレスポーツクラブ設立。チーム名をカマタマーレ讃岐へ
2008年 株式会社カマタマーレ讃岐設立。
2010年 全国地域リーグ決勝大会で優勝し、JFLへ昇格。
2011年 Jリーグ準加盟承認。
チーム戦績
香川県サッカーリーグ・・・優勝2回
四国サッカーリーグ・・・優勝5回(94年、97年、06年、09年、10年)
〈全国大会実績〉
全国社会人サッカー選手権・・・3位(1992年)
国民体育大会・・・2部優勝(1993年)
天皇杯全日本サッカー選手権・・・10回出場
カマタマーレ讃岐のチーム戦績
四国サッカーリーグ・・・優勝3回
天皇杯全日本サッカー選手権・・・5回出場
確認日
2018.01.04

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