転勤を経て再びふるさとへ

休暇村讃岐五色台 副支配人 柴山 武志さん

Interview

2014.09.04

三豊市出身。今回の赴任は、久しぶりに地元での勤務となった。各地への転勤を経て、昨年五色台に帰って来た。「お遍路さんの姿を見ると、四国に帰ってきたんだと実感しますね」

印象に残る瀬戸大橋開通

普段は休暇村の寮で生活。休日になると、家族が待つ三豊市の自宅に帰る。畑仕事に精を出し、ナスや落花生を育てていたこともある。「家で作って食べる落花生は格別でしたね」

中学・高校ではバレーボール部に所属。「中学時代はネットから手が出ましたが、高校生になると背が追い付かなくて」と笑う。セッターとして活躍したそうだ。高校卒業を控え、就職活動を開始。入社試験のときのことはよく覚えている。

当時、瀬戸大橋は建設中で、休暇村から橋げただけが見えていた。「こんなに景色のいい所が香川にあったのかと驚きました。ここは瀬戸内海を見るのに最適な場所なんです」。入社後は忙しい日々を送った。瀬戸大橋が開通すると、ロビーに人があふれ、入りきらないほどだった。

休暇村は1995年に改築し、客室を66部屋に増やした。「修学旅行など団体旅行客でにぎわっていたというのが、最初の五色台勤務のときの印象です」

趣味は広報活動

全国に37カ所ある休暇村は、国立・国定公園等の中に設けられた宿泊施設。自然との触れ合いと休養の提供を目的に、休暇村協会が運営している。

「趣味は、広報活動です」という柴山さん。96年に赴任した淡路島。阪神淡路大震災の翌年のことだった。「地域の結束力やエネルギーを感じました」。休暇村も観光協会の一員として、地元の盛り上げに尽力。明石海峡大橋の開通も後押しして、休暇村南淡路は活気を取り戻していった。

広報活動と営業を専門に行う大阪センターでは、テレビ局や新聞社への営業、旅行会社へのツアー企画の提案などに携わった。その後、岡山県総社市の国民宿舎へ出向。リニューアルオープン時の広報活動を手掛けた。積極的に取材を受けたり、広告を出したりなど、大阪時代に培った「宣伝力」を発揮した。

柴山さんが広報活動で心掛けているのは、売り出したいポイントを箇条書きにまとめることと、アポイントメントを確実に取ること。「『またお願いします』ではなく、いつ実施できるのか、その場で決めるようにしています」。広報のチャンスを逃さず、確実にとらえる。今年は瀬戸内海国立公園指定80周年。休暇村讃岐五色台では、記念行事として「五色台フェスティバル」を9月14日に開催。森のクラフト体験教室や自然観察ハイキング、産直市などを予定している。

「今はインターネットで何でも見られて、買い物もできます。『足を運ぶ価値がある』と思ってもらえないと、今後、より厳しい状況になってくるでしょう」

ただ、取り繕って華美に見せることは好きではない。「お客様に対して正直でいたい。お客様にとって、適切で快適なサービスを提供できれば」

柴山 武志 | しばやま たけし

略歴
1965年4月  三豊市高瀬町生まれ
1984年3月  県立高瀬高校 卒業
1984年4月  五色台国民休暇村 入社
1996年4月  休暇村南淡路
1999年11月 休暇村大阪センター
2003年4月  国民宿舎サンロード吉備路
2006年10月 休暇村瀬戸内東予
2011年12月 国民宿舎レインボー桜島 支配人
2013年4月  休暇村讃岐五色台 副支配人

休暇村讃岐五色台

確認日
2014.09.04

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