仕事も人生も、ご縁を大切にしたい

日本工営四国支店 支店長 守隨 治雄さん

Interview

2011.03.17

守隨家のルーツ

日本工営四国支店長の守隨治雄さんのルーツは、武家にある。その響きから公家では?と聞かれることもあるが、「武田信玄からの出で、徳川家康が幼少の頃からの友達で一緒に江戸に上がった。幕府直属の秤屋となり、小判には『守隨』の刻印が押してあったそうです」。代々守隨彦太郎を名乗る直系は東京に住み、現在で17代目。「守隨家の歴史の詳細は『守隨家秤座文書』(1967年刊)にあります。私も長男ですが、うちは先日27回忌をすませた守隨憲治(近世文学研究家、東京大学名誉教授。旺文社の国語・古語辞書編纂も)が祖父で、源氏物語や歌舞伎の研究をしていました。今から考えると義理人情の世界は私にぴったりなのですが、学生の頃は山歩きの方に興味があった。それが今の仕事に繋がっています」

地すべりとの対話

守隨さんは大学で地質学を専攻した。「地質学には、何万年前、何億年前の出来事を、山を歩いて地層年代から推定するといったロマンがある。ハンマーとクリノメーター(東と西が反対になった磁石)を持って化石を採集し地質図を書くのが卒論でした」

開発が進み美しく整備されている土地にも、過去の記憶は刻まれている。地図には様々な情報が盛り込まれ、読み解くのは可能だ。技術屋の守隨さんは、これまで多くの地すべりと対話してきた。「大学時代の同期で、現在京都大学防災研究所の釜井俊孝先生との共著で『斜面防災都市』(理工図書刊)を10年前に出版しました。阪神大震災で被災した盛土、被災しなかった盛土の違いを評価して、地震時に危ない盛土を予測し、一部の分布図を作成しました」。この本の国の審査の後、「宅地造成法」が改正され、民地でも防止工事に補助金がつくようになった。

好奇心は旺盛に、そして楽しく

興味のあるものは積極的に関わる守隨さん。中学から高校の頃は写真部に入り、夏休みや冬休みには蒸気機関車の写真を撮りに学割周遊券で全国へ。大学時代は友達の影響でカラヤン、ベームといった巨匠のオーケストラ演奏会へも。またその友達に誘われてワンダーフォーゲル部にも入部した。「初めて登った山が槍ヶ岳。5月の連休の頃で、まだ雪渓やクレバスが残ってました。靴だけは登山靴を新調したものの、いつもの気楽な山登りのつもりで軽装備だったものですから、帰りの電車の中で靴を脱ぐと、二度と履けないぐらいの靴擦れになっていた。苦く楽しい思い出ですね」

最近の興味は、娘の麻衣さんのゴルフ観戦だ。「娘は小学2年からゴルフを始めて、現在大阪桐蔭高校ゴルフ部で寮生活を送っています。小学6年から中学にかけてはよく応援に行きましたね。今でも休日に試合がある時は、サプライズ観戦をして嫌がられています(笑)」。現在家族はそれぞれが分かれて暮らしているが、「最近家内は活き活きしてきました。娘が寮に入るまでは、娘のゴルフ練習(打ちっ放しやコース回りなど)に早朝から深夜近くまで付きっきりだったのが、ようやく自分の時間ができた。神戸の友人と一緒に『素肌の提案』とかの仕事を始めています」。愛用者が多くなった奥様は、その仕事で神戸と高松を行き来しているのだとか。「経費が多くかかり儲かってはいないようですが、皆さんの喜びが楽しいようですね。そして、家内が楽しく活き活きしているのが私の一番好きなことなんです」

守隨 治雄 | しゅずい はるお

略歴
1957年2月18日 東京生まれ
1979年3月 筑波大学自然学類地球科学 卒業
1981年2月 日本工営株式会社本社防災部 入社
1996年4月 福岡支店技術第二部 課長
1998年4月 中央研究所開発研究部 プロジェクトリーダー
1999年1月 京都大学博士(理学)を授与
2000年4月 京都大学防災研究所 非常勤講師
2000年8月 日本地すべり学会研究奨励賞を受賞
2001年3月 技術士(総合技術監理、建設、応用理学部門)
      を取得
2005年4月 大阪支店技術第二部 部長
2008年4月 大阪支店 副支店長
2009年5月 四国支店支店長

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