自由と責任、そして目標。サッカーで培われたこととは・・・・・・

三井住友銀行高松法人営業部長 阿部 総一さん

Interview

2010.09.16

今年4月、三井住友銀行高松法人営業部長に着任した阿部 総一さんにとって、高松は大学卒業まで過ごした地。故郷での生活は24年ぶりとなる。

サッカーとの出合い

阿部さんはサッカー少年だった。「小学校の中学年くらいで始め、大学卒業まで続けました」。社会人になってからも、子どもたちを教えたり、初任地の広島では一般のチームでプレーしたりなど、サッカーはずっと身近な存在だ。

1993年にプロサッカーリーグが始まり今ではすっかりメジャーになったサッカーだが、阿部さんが小学生のころはそうではなかった。「野球のほうが盛んで、私も友達と草野球をするなど野球にも興味はありましたが、サッカーに自由さを感じ、小学校中学年で地元のサッカースポーツ少年団に入りました」。まだ露出は少なかったが、ワールドカップ大会を伝えるテレビの映像や、海外のサッカー用品メーカーの広告などを見たことも影響している。「西ドイツチームのベッケンバウアーやミュラーのサッカーシーンを見て、サッカーって面白いんだなあと思ったんですよ」。制約がなく、ピッチを自由に動けるところに魅力があった。「でも幼稚園のときのボール遊びで、上手に蹴ることができた原体験が大きいかもしれません(笑)」

優勝目指すが、準優勝で終わること多く・・・・・・

中学から大学までサッカー部に所属。中学では主将、高校では副主将、大学でもFWで活躍した。中、高とも阿部さんらが中心となって練習計画をたてるなど、積極的に活動した。「中3のとき、総体優勝を目指して合宿を計画したんですよ。学校近くの寺の住職に話をつけて、学校にも申請を出して」。残念ながら高松市総体では当時県内連勝記録更新中のライバル校に敗れたが、県総体への出場権を獲得。県大会決勝でも再戦、善戦したが準優勝で終わった。

高校では中学時代のライバルと同チームとなり、全国大会出場をより意識するようになる。「現在は高校サッカーの指導者になっているS君が主将で、私が副主将。2人とも練習には厳しかったですが、真面目でストイックなS君が締めたら私がゆるめるなど、役割分担ができてましたね」。生徒中心で自主的に練習に取り組むことの難しさはなかったのだろうか?「話し合いをしたんです。楽しいだけのサッカーか、香川県1位になりたいのか。目標を設定し共有することで意思統一が図れ、部員全員で練習に取り組めたと思いますね」。振り返れば高校時代の練習が事前準備も含めて一番きつかったと言う阿部さんだが、開校3期目の阿部さんの代には県大会で準優勝している。

大学1、2年時には全国大会を経験。香川大が5年連続で全国大会出場したころだ。他の大学には後に日本代表やプロでも活躍する選手も多く、「私が1年のとき、1回戦で対戦した法政大には、水沼貴史選手がいました。水沼選手は前半はベンチで、後半になって出てきたと思ったら、いきなり3点決めて0-3になった。すごかった。背中に目があるようだったですね」

仕事との共通点とは

社会人になってから、仕事とサッカーはよく似ていると思うようになったと阿部さん。「どちらも、攻めと守りのバランスが大切だと思うんですね。攻撃が得意な人が攻めているときに、後ろがきっちりとカバーしてやること。プレーの選択はパスでもドリブルでも直接シュートでもいい。攻守のバランスが取れているかどうかなんですね」。仕事でもサッカーでも結果が出ることはそんなには多くない。しかし動いている人数や手数は多く、時間は長い。「自分のポジションで毎日きっちりと仕事をこなすこと、そして点が入ったらみんなで喜ぶこと。これが大切ですね」

阿部さんのもとには、学生時代のサッカー仲間から練習やチームへの誘いがよくあるそうだ。「またやりたいなあとは思っているんですけどね」。サッカーを通して目標を共有し、前を向いて練習に取り組んだ学生時代の日々も、今の阿部さんを動かす原動力となっている。

阿部 総一 | あべ そういち

略歴
1963年 5月 広島県尾道市生まれ(母親の親もと)
      高松市立屋島小学校
      高松市立紫雲中学校
      県立高松西高等学校(3期生)
1986年 3月 香川大学法学部(2期生)卒業
1986年 4月 住友銀行入行
      主に関西での勤務(直近は神戸)を経て
2010年 4月 高松法人営業部長
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阿部 総一 | あべ そういち

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