特別取材 真鍋 武紀 前香川県知事の12年間
「利益分配」から「不利益分配」への転換

前 香川県知事 真鍋 武紀さん

Interview

2010.09.16

「多くの関係者に憎まれましたが、県民全体のための苦渋の選択でした」・・・・・・9月4日、知事の任期を終えた真鍋武紀さん(70)は3期12年間を、こう総括した。

真鍋さんは、普段から多くを語らない。任期を振り返る取材に、一度しか応じなかった。「ビジネス香川」の取材は、8月19日県庁で行われた県政記者会見への同席という形になった。

真鍋さんは、率先してすすめた行財政改革を「利益分配」から「不利益分配」への転換を図ったと表現した。「痛みを押し付ける」「派手さが無い」などの批判が上がったことについては、「マスコミはもっと深く実情を取材して、見識を持って報道して欲しい」と苦言を呈した。

表情は終始、変わらなかった。淡々と述べる姿からうかがえたのは、ビジョンと強いリーダーシップを知事に期待する声とは相反して、「行政マン」に徹した職業意識と自負だった。

世論の批判を受けながら、行財政改革を進めたことについて。

「人間は楽をしたいし、政治家は票が欲しいから利益配分を重視する。戦後の発展で税収が増えて利益分配だった政治が、不利益分配へと局面が変わった。私のやり方が間違っていたかどうかは、後世の人が判断する」

歯に衣(きぬ)着せない、言葉だ。知事は県民が直接選んで権力をゆだねる「大統領制」だ。しかし真鍋さんには、知事になっても「官僚」であり続けたから改革できたという自負があるからだ。

「公共事業は70%(1996年度1812億円→2010年度485億円)、県職員は24%(1996年度3674人→2010年度2779人)削減した。給与も国家公務員に比べた『ラスパイレス指標』は全国ベスト10に入っていたが、ワースト10以内までに下げた。職員には大変申し訳なかったが、人を減らし給与カットをしていったなかで、効率的で透明で責任感のある行政組織になったと思います。

高松の大的場のプール施設や津田病院と保育専門学院の廃止、また利用者減で行き詰まっていた民間の栗林動物園も、閉鎖してもらいました」

実績を述べた後、真鍋さんは一瞬、遠くを見るような目つきになった。

「反対が多くて恨まれ、けなされたが、財政難の中で県全体のためには、不要な財産処分や必要性の少ないものを廃止せざるを得なかった。苦しい選択でした。評論家は評論していればいい、マスコミは伝えていればいい、利害関係者は自分の意見を言えばいい。しかし、行政には公平公正と責任がある。問題点をとらえ関係者の意見を聞き、政治状況を考えて、できることとできないことを仕分けして、実行の手順を決めるのが知事の仕事です」。口調は変わらず、自信にあふれている。

※(ラスパイレス指数)
ドイツの経済学者、エティエンヌ・ラスパイレスが1864年に提案した、加重平均して算出した指数。賃金比較でラスパイレス指数が使われる場合は、国家公務員と地方公務員の基本給与額を比較することが多い。

全国に先駆けて県内で市街化調整区域を撤廃したことは。

「国が制度改正して撤廃できることになり、高松市や坂出市から強い要望があった。地区計画は市や町が責任を持つべきだし、規制も導入するというので、経済の活性化につながると踏み切った。もっと市や町の規制が必要だったという反省はある」

地価の下落に拍車がかかったことに、初めて「反省」という言葉を使ったが、この後こんな発言も・・・・・・。

「サンポートの土地を大阪へ売りに行ったら、大阪より高いと言われた。高松の地価がバブルで異常に上がっていたと思います」

サンポート高松の活性化について。

「シンボルタワーは民間もお金を出していますが、私になってから着工したので、やめた方がよかったのかもしれません。ホテル(全日空ホテルクレメント高松)も出来て、『全国豊かな海づくり大会』など全国大会がやれるようになって一定の成果はあった。ただあの海岸までの土地は、売るのはもったいない。むしろ百年先、二百年先を考えて、栗林公園のような高松の顔になるものにすべきです。あわててはイカンと思います」

既定の計画を途中でやめることができなかった。開発計画の抜本的な再検討が必要だ、という率直な提言だ。

国直轄事業の負担金で国にかみついた大阪府の橋下知事に比べ、問題の発端になった香川河川国道事務所(高松市)に関しては、弱気だったのでは。

「知事会で、子ども手当を払わないと神奈川県の知事が言い出して、いろいろ議論しましたが、法律で県がいくら負担すると決められているから負担せざるを得ないし、法律を作る権限は今の制度だと国にしかない。法律的に物事が通るか通らないかをタテから横から斜めから良く詰めて、国と喧嘩をしないといかんので、派手なパフォーマンスもひとつの手法だが、長く官僚をやっていた私の手法は違います。

公共事業を70%、職員を24%削減したが、もし事前に削減数字をポーンと打ち上げていたら、労働組合や議会は黙っていない。つぶされていたと思う。小さな改善を根気強く積み上げ、時間をかけた方が抵抗も少ないし実現性も高い。

だから大阪府と香川県で、どちらの人員削減や事業費カットがより進んだかの結果を比べてもらったらいい。物事は結果がすべてです。派手なやりかたと比べてもらえばいいんです」 

ほんの少し、語気が強くなった。

「業界の利害関係で難しかったのが、海砂利の採集禁止です。香川県がトップを切って禁止して、いま全面的に瀬戸内海で禁止という状況ができましたが、これは段階的に削減して実現できたことです。いろんなものを廃止するのは、必ず反対する人がいます。その時々の状況でどこまで対策ができるか、またどこまで説得ができるかを判断してやってきました」

官僚時代に学んだ知恵と感覚、手法への自信は、揺るがない。

新知事に望むことは。今後は。

「地方分権をもっと進めてもらい、私が果たせなかった地域経済の活性化と高校野球王国の復活を望んでいる。

知事の仕事が、24時間土日もなく忙しくて、こんなに不自由だとは思わなかった。後は、高松に住んで自由気ままに私人として生活しようと思っています」

私的な感情や、生活について多くを語らないのは、官僚故の配慮だろう。会見場の真鍋さんは最後まで「官僚」の発言に終始した。しかし、表現と表情は、自然体で、自信にあふれ、新鮮だった。

最後に、真鍋さんは「ビジネス香川」にこんな言葉をかけた。

「これから香川の経済を発展させていくということは大変重要な課題ですから、ぜひいい情報を、またいろんな幅広い情報を正確に伝えていただくようにお願いしたい。それによって香川県の企業が元気になることを期待しています」

真鍋 武紀 | まなべ たけき

略歴
1940年 木田郡三木町生まれ
1963年 東京大学法学部卒業
    農林省入省
1990年 水産庁魚政部長
1991年 環境庁水質保全局長
1992年 農林水産省経済局長
1994年 農林水産省農林水産審議官
1996年 国際協力事業団(現国際協力機構:JICA)
    副総裁
1998年 香川県知事就任

2010年9月4日 任期満了(3期連続・12年)


真鍋県政12年の歩み

1998年 8月 知事に初当選
1999年 3月 県新行政改革大綱策定。知事部局職員
       100人削減、外郭5団体程度の統廃合など
2000年 6月 豊島の産業廃棄物不法投棄事件で、島の住民と
       県との間で公害調停が成立。真鍋知事が謝罪
2002年 8月 知事に再選
同 11月   給与制度改革を発表。県職員が退職する際の
       特別昇給廃止などを盛り込む
2004年 3月  高松市サンポートに高松シンボルタワー完成
同 10月   人件費削減などを柱とした3年間の財政
       再建策発表
2006年 8月  知事に3選
2008年 4月  小豆島の内海ダム再開発事業で、県と小豆島
       町が土地収用法に基づく事業認定を申請。
10年7月   県収用委員会が強制収用を認める裁決
2009年 3月  三豊市に県と独立行政法人「水資源機構」に
       よる香川用水調整池「宝山湖」が完成
同 12月   県議会で引退表明
2010年 2月  宇高航路存続の緊急対策を岡山県知事と
       ともに前原誠司国土交通相に要望
同 7月     瀬戸内国際芸術祭2010開幕

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