とことん追求した日々が、今の考え方の素地を作った。
瀬戸の海でボートに取り組んだあのころ・・・・・・

アサヒビール高松支社 支社長 佐々木 台行さん

Interview

2010.04.01

坂出市出身で、大学卒業まで香川で過ごしたアサヒビール株式会社の佐々木台行さんは、昨年9月に高松支社長に赴任、26年ぶりに故郷に帰ってきた。着任当時感じたなかに「やはり瀬戸内海は美しいなあ」という想いがあった。それは大学時代の思い出に繋がるものだった。

新しい自分を発見したい~ボートとの出会い

大学時代、佐々木さんはボート部に所属し、4年間活躍した。幼い頃からスポーツが得意で、小学時代はサッカー、中学ではバレーボール、高校では再びサッカーを経験。「僕はサッカーではずっとキーパーで、実はあまり面白くはなかったんです。大学には先輩もいたので、サッカーをすればまたキーパーかと思い、まったく違うことがしたくで、ボート部を選んだんですよ」

新しい自分を発見したくて入部したボート部だが、入部とともにハードな練習が始まる。それはサッカーのキーパーとは明らかに運動量が違っていた。「ボートを漕ぐという動作から、腕だけに目がいきがちですが、上半身だけでは持ちません。上半身3、下半身7の割合での強化が必要でしたね」。オールを使って水を漕ぐが、シートがスライドするので足も動き、当然全身を使うことになる。下半身の強化はもちろん、腹筋、背筋なども必要だ。「スタートダッシュの瞬発力と漕ぎ続ける持久力。陸上の400m走のスピードでマラソンを走る感覚ですかねえ」。3月から11月までの水上練習のシーズンを終えても、陸上での練習が待っている。「黙々とやりましたよ。傍目には陸上部かウエイトリフティング部に見えていたはずです」と、佐々木さんは当時の練習風景を目に浮かべる。

自分で決めたゴールから逆算して、何をすべきかを考える

当時のボート部は恵まれた環境にはなかったと、佐々木さん。「本格的な合宿施設があるわけでもないし、活動費が潤沢でもなかったので、シーズン中は屋島近くの公民館を借りて寝泊まりして、自炊をしながら壇ノ浦で練習しました。活動費のためのアルバイトを全員でやったこともあったなあ」。1日のスケジュールは、朝5時起床、8時までの早朝練習を終えたら大学に行って講義を聴き、午後3時くらいから練習、夜10時に消灯という毎日だった。

技術は代々引き継いだものを先輩から学び、自分自身でも勉強した。強いチームを分析し、その試合結果を見て練習方法を考えた。勝つためにはどうすればいいのか・・・・・・。自分たちで目標=ゴールを定め、そのゴールから逆算して練習メニューを立てた。受け身ではなく、すべてが自主的だった。「でもね、自分たちで作った練習メニューをこなすのはきつかったですねえ。でもやらなければならない。上からやれと言われてするのは簡単ですが、目標に向かい具体的に何をするのかを自分で決めて実践することはとても難しい。この経験は大きかったですね」。また佐々木さんは大学3年のとき、体育会系サークルのまとめ役となり、代表して大学側との予算折衝なども行っている。

豊富な経験が、人生を豊かにする

地道な練習は必ず結果に表れるものだ。2年時に出場した関西学生選手権では3位となった。「ボートを大会会場まで運ぶお金が無くて他の大学に借りて出場し、コックスも新人だった。それでも結果は残せましたからねえ。そのときに先輩がおごってくれたビールの味はうまかった。忘れられないなあ」

振り返るとボート部での経験は、人生に大きな影響を与えていると佐々木さんは感じている。「それなりに逆境もありましたが、ボートでの苦しみを思えば、なんてことはないと思えますね。とことん追求したからこそ、自分の中にはこれだけはあるとしっかりと言える。ボート部は人数も少なくて金もない。でも目標を立ててがんばった。あの4年間が、自ずと考え方やマネジメントの素地を養えてくれたように思いますね」

佐々木 台行 | ささき たかゆき

略歴
1959年 5月20日 香川県坂出市生まれ
      大学まで実家で生活する
1983年 3月 香川大学経済学部卒業
1983年 4月 アサヒビール株式会社入社
      大阪、奈良、神戸、群馬、横浜、
      千葉、東京の各エリアで現場の
      営業職を担当
2009年 9月 高松支社長
      入社26年ぶりで初めて故郷での
      仕事をすることに
      家族は5人(妻と娘3人の女系家族で
      肩身が狭い:本人談)、自宅は千葉市
写真
佐々木 台行 | ささき たかゆき

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