「アメフトにとことん取り組んだ」という自信が社会人になってからの自分を支えてきた

三菱電機 四国支社長 齋藤 真輔さん

Interview

2010.03.18

三菱電機四国支社長の齋藤真輔さんが、高校、大学、社会人と約15年間続けたスポーツはアメリカンフットボールだ。「小学生のころは、両親の言うままに勉強ばかりしていました。中学の部活動も、小学時代からの友達がやっているからと、なんとなく軟式テニス部を選んだ。でも自我が目覚めてくると、これではだめだ、勉強もスポーツも自分の意志でやらなくてはと思うようになりましてね。高校に入ったらラグビーをしようと決めたんです」

自我の目覚めとアメフトとの関係

しかし、齋藤さんが進学した都立高校にはラグビー部がなかった。そのかわりにあったのは前年度全国大会ベスト8の記録を残したアメリカンフットボール部。「似たようなものだろう」と入部したのがきっかけで、齋藤さんのアメフト生活が始まる。

当時の練習は精神論一色。俊足の齋藤さんにも、ラン練習はきつかった。「うさぎ跳びは普通にするし、水は飲ましてくれない。今から思えば、前時代的な根性の世界でしたね」。先輩からの厳しい練習に耐えられず、35人いた新入部員は1学期末には半分に。その後、合宿中に夜逃げ、合宿終了時にまた退部者が出て、10人に減った。人数が少なくなると、自然と1人あたりの練習量は増える。「僕も本当に辞めたかったけど、自分が辞めたら残った仲間の練習がきつくなると思うと、言えなかった」

高校時代はアメフトの根性練習で明け暮れた齋藤さん、「今度は人なみに青春を謳歌したい」と入学した大学だったが、1年浪人したアメフト部の先輩も合格していた。入学式後、鉄道旅行同好会の入会手続きをしたその日の夜に、「一緒だぞ、またやるぞと先輩の電話がありまして。ただ、おまえは足が速いからランニングバックだ、の一言に気持ちが変わったのも事実なんですが」。そしてアメフト一色の大学生活が始まった。

具体的な目標を立てて、努力すること

言われるままに動いていた高校時代の練習とは違い、大学では自分たちで考え、工夫した。アメリカンフットボールは、体力や技術が求められるのはもちろんだが、フォーメーションなどの戦術や駆け引きも勝敗を左右する。「戦略も含め、どのような練習をすることが勝利に結びつくのか、目的を持って試合を見たり、映像を見て細かく分析していましたね」

当時、序列では関東学生の上から2番目のリーグでプレーしていた齋藤さんの大学。そこには強豪の私立大も多く、2勝5敗という成績が毎年続いていた。「僕たちが卒業した翌年から、2部制に変わることになったんです。ぜひ1部所属を決めて後輩に引き継ぎたい。そのためにはあと2勝は必要だということになりました」。狙いをリーグの中の2つの大学に絞り、そこに勝つために何をしたらよいのかを分析、策を練って練習に1年かけた。個々の体力差などもあり、残念ながら2大学には僅差で負けたが、「悔しさはありましたがそれなりの成果は出せた。僕自身、試合の内容には満足できるものもありました」と当時を振り返る。

とことんやったという事実と自信

入社後は大学の2年先輩が立ち上げた自社のアメリカンフットボールチームに参加、約10年ほどプレーを続けたのち現役を退いた齋藤さん。日常の中でアメフトの経験が生きているなあと思うことがあるのだという。「精神的にも肉体的にも、アメフトで鍛えられたと思います。とことんやれたのだから、ここまでこなしたのだから、なんでもやれるという自信にはなっている。辛いことはあります。お客様のところへ行っても会ってももらえず、何時間も声をかけてもらえないこともあった。でも当時を思えば何でもないことだと思えるんですよ」と齋藤さん。「僕は引っ込み思案で気も弱いのですが、体育会系なんだから落ち込んでいる姿なんて見せられないぞと、自分にプレッシャーをかけていたのかもしれませんね」

振り返ると、アメリカンフットボールにかけた時間は、自分の大切な宝物になっていることに気づくという。何かに熱中したことの成就感、爽快感かもしれない。「今でも大学時代の連中とは正月に必ず集まるんですよ。海外に赴任していても必ず帰ってくる。当時を思いだし、大いに盛り上がります」。そんな集まりでよく話題になるのが、大学時代からやり直せるならどうするかということ。齋藤さんはどう答えているのだろう。

「もう一度アメフトをやるかもしれないよ。でも、アメフトをやるかも知れないけれど、ちゃんと勉強もしようと言うんですよ(笑)」

齋藤 真輔 | さいとう しんすけ

略歴
1958年 5月 福岡県生まれ
1981年 3月 横浜国立大学経営学部経営学科卒業
1981年 4月 三菱電機株式会社入社
     (伊丹製作所配属)
1996年 6月 本社社会システム事業本部
      交通事業部交通部都市交通第一課長
2002年10月 本社社会システム事業本部
      交通事業部交通部次長
2003年12月 本社社会システム事業本部
      交通事業部交通部長
2008年 4月 中部支社副支社長
2009年 4月 四国支社支社長に就任

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