自分は「こう見た」という眼差しの証し。写真には私の感性が表現される

電源開発 四国支社長 幸野 貴司さん

Interview

2009.04.02

写ればいいとカメラ本体にはこだわらないという幸野さん。「生活の中のあるひとこまを、私の視点で切り取れたら」

始まりは学校新聞

デジタルカメラの普及で、より身近な存在になった写真の世界。被写体の選び方やアプローチの仕方、発表から鑑賞、保存に至るまで、様々な方法がある。今は多くの人が自分なりの写真の楽しみ方を見いだせる時代だ。

電源開発四国支社長の幸野貴司さんも、自分なりの方法で写真を楽しむ一人。幸野さんは、印刷業を営む父親がカメラ好きで、幼いころから二眼レフやコンパクトカメラが身近にある環境に育ち、早くからカメラに親しんできた。本格的に写真に取り組むのは高校時代。入学と同時に任命された新聞委員会での記者活動で、だ。年に3回ほどの発行だったが、「委員は他にもいたはずなのにあまり出てこない。取材から原稿書き、確認作業などほとんどしました。でも写真撮影は元々好きでしたからね」。学校新聞にも、できごとを正しくわかりやすく多くの人に伝えるという新聞の使命がある。掲載する写真も、何をしているのかが見た瞬間に分かるものを求められる。「真実を伝えるのが第一。そのときの感情や思いを表現する写真は撮れなかったですね」

何を、どう撮るか。どう表現するか

幸野さんの感性が発揮されるのは大学の写真部に入ってから。被写体を日常生活の中に求め、暮らしの一場面を切り取るスタイルが確立されていく。「自分なりにはっとする瞬間を撮りたかったんです」。シャッターチャンスを逃さないために、学生時代はいつもカメラを手放さなかった。作品発表も積極的に行い、県立美術館では写真部の作品展を毎年行い、ギャラリーで開く同学年のグループ展は15回を数えた。「当時の学生写真は、広角で横写真、やや引いた感じが現代風として人気が高く、荒れやブレ、少々のボケも、リアリティーとして受け入れられていましたね」。合評でお互いに厳しい意見を飛ばしたこともある。幸野さんは「自分の感性がすべて。僕はこう見た、どうだ、こう見たんだという気持ち。自分の眼差しを写真に残すことが大事だと思うんですよね」。そのグループ「4+α」とのつきあいは卒業後も続き、お互いの家族も含めた交流はかけがえのないものとなっている。

幸野さんは仕事や転勤で新しい土地を歩くとき、「いいな」と思う瞬間があるとふっと写真を撮るという。写真撮影のスタンスは変わらないが、その新鮮な視線は、地元に暮らす人には思いがけない発見になることもあるだろう。

「グループ展をやっていた仲間とは、定年くらいになったら回顧展をするかもという話にはなるんですがね」と幸野さん。思いが表現された数々の作品、独自の眼差しに満ちた作品が鑑賞できる機会、ぜひ作ってほしいものだ。

幸野 貴司 | こうの たかし

略歴
1954年 4月 鹿児島県生まれ
1978年 4月 電源開発入社
1994年 7月 湯之谷揚水調査所立地担当課長
     (人事労務部、西日本支店などを経て)
2005年 7月 立地室長
2008年 7月 四国支社長
写真
幸野 貴司 | こうの たかし

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