「ひらめき」と「決断」で普通の本屋を日本一に!

宮脇書店 代表取締役会長 宮脇 富子さん

Interview

2009.04.02

これからは出版物が増える。大きな店を作って多くの本をそろえたい。チャンスは今しかない・・・・・・。強い思いがこみ上げてきた。「宮脇書店の明治維新でした。『本なら何でもそろう・どこでも・いつでも買える』を目指してスタートしました」
1965年、宮脇富子さん(85)は反対した父の英一さんに店の資産を譲り、独力で鉄筋3階延べ床面積300坪の新店舗を建てた。高度成長の中、大店法が施行された。ライバル業者は大型店を作れなくなった。時代は宮脇さんの決断に味方にした。
宮脇書店会長宮脇富子さんは、経営を専門的に学んだわけではない。父を手伝いながら獲得した知恵と才覚で、普通の本屋を全国に約350店舗を展開する日本一の書店グループに成長させた。

※(大店法)
大規模小売店舗法。1973年施行され2000年に廃止された大型店を規制する法律。

お客さんが欲しい本を店頭に並べたい

本屋と屏風は広げたら倒れる。店は30坪でええ。借金までしてやるな・・・・・・商売のすべてを教わった父と対立した。「私は父の弟子です。その弟子が、それは違うと言ったんです」

幼い頃から本好きで店の書棚が遊び場だった。学校(県立高松高等女学校)へ通いながら父と一緒に仕事をした。狭い店に並べられる本は限られていた。「よくお客さんから、東京へ出張したとき紀伊国屋や三省堂で本を買ったと聞かされました」。専門書をそろえた大型書店を作りたい・・・・・・強い思いを抑えきれなくなった。
高松では東京のように本は売れない。反対した父は資金を出さなかった。保証人にもならなかった。自分の力で新店舗が建てられたら、土地は担保に提供するとだけ言った。

「私にあきらめさそうとしたのでしょう。資金調達には苦労しました。でもやはり親です。最後には、失敗したらお父さんの流儀で一緒にやろうと計画を承知してくれました」
41歳、怖さ知らずで決断した300坪の店舗は好評だった。オープン時は本が足りず、70坪でスタートしたが、毎年本が増えて次々売場を広げた。本がそろうと客足は加速した。

目からうろこ・郊外型書店

8年後、大店法が施行された。偶然とはいえ決断しなければありえない幸運だった。宮脇書店の独り舞台が続いて、宮脇さんは次のステップへ踏み出した。1971年、常盤街へ出店。続けて75年までに高松駅はじめ、片原町、瓦町、栗林などの駅前に出店した。

「それが一段落して、たまたまのご縁で10台の駐車場付き店舗を郊外に借りたんです。あたり一面田んぼの県道沿いで、採算ベースは早くても3年かかると思いました」。不安だったが家賃が安かった。77年、午前10時から午後10時まで営業の実験店舗としてオープンしたら1カ月目から黒字になった。
「車で行ける郊外型の書店が他に無かったんです。目からうろこが落ちる思いがして、郊外型書店をロードサイドに展開しました」。まだ同業者はいなかった。立地の選定も借地条件も有利で、投資額も安かった。話題になって日本経済新聞に載った。

ロイヤルティーはゼロ・・・・・・本屋のフランチャイズ

フランチャイズ(FC)で地方に仲間を増やそう・・・・・・。郊外型書店のノウハウを教えてほしいと全国から相談が来るようになって、宮脇さんはひらめいた。
アメリカで始まったFCを本で読んでいた。81年、全国の書店で初めてFCを導入した。
本はどこで買っても、値段が同じで価格競争がないが利益は少ない。「経営を圧迫しないようにロイヤルティーをゼロにして、仲間を増やしました。『数は力なり』で出版社や取次店の見る目も違ってきました」。大都会中心に展開する大手書店には思いもよらない戦略だった。

※(取次店)
出版社と小売り書店の間をつなぐ流通業者。卸問屋との違いは返品を前提とした委託販売制度なので、書店が在庫管理をしなくて済む。

「ひらめき」と「決断」

敷地1300坪、鉄骨鉄筋3階建て、延べ床面積2400坪、高松卸センターの中で一番大きい建物を、経営不振の会社から買い取ったが、大店法や港湾法、都市計画法の規制で小売りが出来なかった。

「本屋の商売は小さい。神田の古本屋街の本を全部買い取っても大したことはない」・・・・・・父の言葉を思い起こした。「そうや日本の出版物を全部ここに置いても、怖じることはない」。宮脇さんに「本の総合展示場」構想がひらめいた。

毎日発行される出版物をすべて本屋に並べることは出来ない。店頭に並ぶ本もほぼ3カ月で出版社に返品されて、再び書店に並ぶものは限られている。
「市場で流通している本を出来るだけ集めよう。返品する本もここに置いて、本の好きな人に見てもらおうと思いました。主な出版社や取次店も賛同して頂けました」
89年、日本で最大規模、30万点を展示する本の総合展示場「宮脇カルチャースペース」(MCS)が誕生した。テレビや新聞に大きく取り上げられて、宮脇書店のブランド価値が上がった。

※(MCSの展示書籍)
2009年3月現在60万点。

屋上に観覧車

MCSの屋上は遊園地だ。高松市街や瀬戸大橋が展望できる観覧車がある。大店法の廃止で本が売れるようになったMCSに、客を引き込む宮脇さんのアイデアだ。
「ここは北海道と同じで、高松の北の端です。なじみの無い人にまず来てもらわないと・・・・・・。子どもさんを呼べば家族連れで来てくれます」
観覧車の一つ一つに出版社の名前を書いた。「出版社の人を観覧車に案内すると、会社の名前の付いた観覧車に乗って喜んでくれます」。広告料は無料だが、社名を書く費用は出版社に負担してもらった。

「今でもぱっと思いつくと、やりとうてやりとうておれんようになります」。宮脇さんははにかむ。
父が仕事の先生だった。父ならどうする・・・・・・。85歳の宮脇さんは『本なら何でもそろう・どこでも・いつでも買える』理想の本屋を目指して父に問う。そしてしてひらめく。決断する。宮脇さんの後ろから、時代が追いかける。

アイデアと実務の二人三脚

「観覧車には絶句しました。普通は若い者が新しいことに取り組んで、年寄りが足を引っ張りますが、うちは新しいことを考えるのは会長で、私の仕事は現場監督です」。一人息子で社長の宮脇 範次さん(59)は言う。
範次さんは、宮脇書店がまだ2店舗だった高校2年の時、母から全国展開構想を聞かされた。後を継ごうと決めた。東大の経営学科に入学、夜は公認会計士の学校へ通った。教授に大学院を薦められたが迷うことなく帰ってきた。
「世の中が変わってきているでしょう。業種の垣根が低くなっているでしょう。いまは言えませんが、コラボレーションで面白いことがいろいろできるでしょう」。母の宮脇さんは、いたずらっ子の目で笑った。
アイデアマンの会長が発想する。実務家の社長が実行する。宮脇書店は次の手を準備している。

宮脇 富子 | みやわき とみこ

略歴
1924年 3月 高松市生まれ
1942年 3月 県立高松高等女学校卒業
1942年 4月 宮脇書店入社
1965年 8月 (株)宮脇書店 代表取締役社長就任
1989年 3月 (株)宮脇カルチャースペース代表取締役社長就任
2008年 1月 (株)宮脇書店 代表取締役会長就任


公職及び褒章

1999年 第16回優秀経営者顕彰女性経営者賞受賞
2005年 県書店商業組合理事長に就任
    第45回四国新聞文化賞受賞
2006年 高松市市政功労者賞受賞

株式会社 宮脇書店

住所
高松市朝日新町2−19
TEL:087-851-3732
FAX:087-822-4796
創業
1877年
設立
1947年
資本金
1000万円
関連会社
株式会社明林堂書店、株式会社新丸三書店
事業内容
書籍・雑誌・地図・教育機器等の卸及び小売、
書店開業・経営のコンサルティング 他
URL
http://www.miyawakishoten.com
確認日
2018.01.04

記事一覧

おすすめ記事

メールマガジン登録
メールマガジン登録
ビジネス香川Facebookページ