人を楽しく便利にしたい! ~ことでんの、次の100年戦略~

高松琴平電気鉄道 取締役 真鍋 康正さん

Interview

2012.03.01

「ことでん」が面白い。開業101年目。「ことでん」は、次の100年に向かって「乗って楽しい」をテーマに選んだ。

高松琴平電鉄取締役の真鍋康正さん(35)は、経営再建に全力投球している父親の康彦現社長を支えるため、3年前に就任した。

東京で経営コンサルタントや会社の再建を10年間手がけた。企業が生き残るための改革には、困難と冷酷さがつきまとう。経済成長がとまった地域で、電鉄会社を存続させるのは至難の業だ。これまでの思考プロセスを飛び越えた新しい構想力が必要だ。

100年間支えてきた技術者たちの創意工夫に驚いた。「電車にも駅にも沿線にも、全国に発信できる情報がいっぱいあります。この手つかずの経営資源で、付加価値をもっと増やせるはずだ」

真鍋さんは、ポスト成長の社会変化に適応する、公共交通機関の姿を追求する・・・。コトコト走る「ことでん」が、かっこいいトレンディー電車に変身しつつある。

やってやろう!

2001年、経営破綻した「ことでん」に、香川日産自動車前社長の真鍋康彦さんが社長に就任して、新体制が始まった。

「ぼろ電車と言っていた車屋の父が、地域のために第二の創業をしたんです」。自動車ディーラーの経営から退いて、「ことでん」再建に専念する執念を見て、父を支えようと思った。

人口が減少するゼロ成長の香川で、インフラとしてどう成り立たせるか。たとえ公共交通でも、利益を出さなければ存続できない。

「経営者の力量が試される仕事ですが、基本は同じです。ただスパンが違う。2年後の黒字より、100年後を見通す必要があります」

東京で投資家から短期の利益を求められてきた真鍋さんは、「面白い。やってやろう」と、経営者として目標にする父に挑む気持ちもあって、帰ってきた。

危機感を共有する

破綻再生した会社に、経営者の息子が入ってきた。しかも〝合理化の申し子〟みたいな経歴の持ち主が。「嫌われて当然です。でも、昔に戻ったらまた潰れるという危機感で、一緒にやる気を出してくれました」

どの会社にも無駄に見える企業風土がある。100年企業の「ことでん」の、しきたりや文化を許容しながら、合理化して利益を出す。残すものと捨てるもののバランスが難しい。

「自分の経験を生かせるのではないか」。真鍋さんはコンサルタントの目で鉄道会社の組織を見た。

柔らかな組織に

安全が第一の鉄道会社には、厳格な秩序がある。しかし部署の垣根を越えた顧客サービスは苦手だ。快適性や楽しさのアイデア、実現は難しい。その強固な組織を柔らかくするのが真鍋さんの仕事だった。

「どの部署がやるかではなく、どんなサービスをしてくれるかがお客様の評価基準です。いろんなことに柔軟に対応できる組織づくりが大事だと痛感しました」

沿線の駅や関連会社を回って議論する真鍋さんに、「一緒にやろう」と共感してくれる社員は多かった。

100年走り続けた!

破綻前は安全がすべてだった。「サービスも安全と同じように大事です。『乗せてやる』から『乗っていただく』に父が変えました」

もっと付加価値を増やすために、真鍋さんはマーケティングが必要だと考えた。「ことでんは、日本で一番古い1925年製造の電車を走らせているんです」

レトロ電車が走り続けるために、それを支える技術や部品がいる。無くなった部品を作り、そのための工具も、その工具を作るための機械も工夫する人たちがいる。

「まさに暗黙知の世界です。美しい讃岐の風景を走る古い電車だけではなく、技術者たちの創意工夫と熟練の技を全国に伝えたいんです」

東京で時間に追われていた真鍋さんには、100年前からコトコト走り続けていること自体が驚きだった。レトロ電車や駅舎、橋は「近代化産業遺産」ずくめだ。中高年のノスタルジーだけではない。若者や子供たちもひきつけるはずだ。

マニアが喜ぶレトロな電車の面白さを、トレンディーな新しい観光資源として発信する真鍋さんは、「ことでん100年の物語」を慈しむ次世代の語り部だ。

※暗黙知
言葉で表現できない経験や勘に基づく知識のこと。

※近代化産業遺産
経済産業省が認定している文化的遺産。

ことでんの使命

「ことでん」を存続させる魔法の杖はどこにもない。「もっと地域に近づいて、電車が必要だと思ってもらう以外に方法はないんです。沿線がクオリティの高い街になっていけば、電車ももっとご利用いただけると思います」

鉄道会社にとって厳しい状況がいつまでも続くわけではないだろう。エコカーの開発は急ピッチで進む。排ガスをまき散らす車社会の拡大は限界を迎えている・・・。

「定時性の高い、便利で安全な公共交通の整備が必要です。地域と一緒になって、乗って楽しい電車を目指すんです」。課題は施設のバリアフリーと、バスとつないだ路線整備だ。高松市民病院が仏生山駅近くの県農業試験場跡地に移転する。「通院するお年寄りや障害者、妊婦さんにやさしい駅にしないといけません」

国や県の機関や香川大学、民間の研究所など産学官の施設が集まった香川インテリジェントパークは、公共交通のアクセスが弱い。「電車とバスを組み合わせた交通実験を、高松市と一緒に実施していますが、電車を幹にバスを枝にして便利な交通網を作ります」

※定時性
時刻表どおり発着時間に正確なこと。

100周年イベント

「ことでん百年目の写真展」より

「ことでん百年目の写真展」より

昨年の11月18日が100周年の記念日だった。今年3月末まで、レトロ電車や仏生山工場、近代化産業遺産の駅や鉄橋など、100年続く「ことでん」の魅力を活用してイベントを展開している。

「各部署の若手を集めてチームを編成しました。ことでんが変わったことを知ってもらうイベントを1年かけて準備しました」

電車に10年間乗っていなくても不便と感じない、「ことでん」に興味も縁もない人たちに、どうアピール、アプローチしていくか。部門を越えて議論した。

「みんなで考えたんです。各々が、自分なりのことでんへの思いを持っています。それを一つ一つ聞きました」。組織が、みんなの意識が、変わり始めた。

「駅は汚い、電車はぼろい。そのうえサービスが悪かった。それが『ありがとうございます』と言えるようになった。これからどうするか、が次の課題です」

100周年イベントは昔を懐かしむ回顧展ではない。その中の「ことでん百年目の写真展」は、これからも走り続けることで光沢を増す車輪の鈍い光を、写真家GABOMIさんが捉えている。

「過去を振り返ってもしょうがない。楽しい便利な電車で、地域を豊かにしなければ、喜んでもらえません」。真鍋さんは父が敷いた、「ことでん」再建の軌道を自分の流儀で走る。次の100年に向かって―。

※ことでん百年目の写真展
去年11月18日~12月4日高松天満屋で開催。

コンサルタントから経営者へ

経営コンサルタントが存在する理由は、第三者であることに尽きると真鍋さんはいう。企業の命を救うための処方は、外科手術に似ている。客観的な視点からの分析、判断とチームへの説明、説得力が必要だ。

「不採算事業の売却や、工場閉鎖などのリストラには、リスクがつきまといます。自分で身を切ると同じように、経営者の身内だけでは、手術はなかなかやれません」

真鍋さんは大学卒業後、経営コンサルタントを3年経験して、責任とリスクを負う経営者の仕事をするために、25歳で企業買収を事業とする会社に転職した。

企業利益と企業存続

赤字の出版社を、社長として2年ぐらいで黒字にしたが、退いた後、優秀な人たちが辞めた。業績は改善したが、無駄に見えるものに潜む暗黙知が切り捨てられて、組織が崩壊したのだ。

「短期で結果を求めたために、出版社を文化事業として継続させるという、大切な目的と視野が足りなかったと反省しています」

ゼロ成長の社会で、短期の業績向上と中長期の組織づくりの最適化は、至難の業だ。

「企業は利益をあげないと存続できません・・・」。真鍋さんは何度も繰り返した。

真鍋 康正 | まなべ やすまさ

1976年 高松市生まれ
1999年 一橋大学経済学部卒業
    コンサルティング会社、投資会社、投資 ファンド等を経て、帰郷
2009年 高松琴平電気鉄道株式会社 入社、取締役 就任
現在に至る
(株)サンクスアンドアソシエイツ東四国、SBH(株)、香川日産リース(株)等の代表取締役、ことでんバス(株)、香川日産自動車(株)等の取締役を務める
写真
真鍋 康正 | まなべ やすまさ

高松琴平電気鉄道株式会社

所在地
高松市栗林町二丁目19番20号
設立
1943年11月1日
代表者
代表取締役社長 真鍋 康彦
資本金
2億5000万円
売上高
32億7700万円(2011年3月期実績)
グループ会社
ことでんバス、徳島西部交通、ことでんサービス、高松グランドカントリー、屋島ドライブウェイ 等
確認日
2018.01.04

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