
中学時代、母と別居した父に反抗した。横道にそれかけたが、隣のおばさんが見守ってくれた。客の「おいしい」の声を励みに、家業に精を出した。小さなかまぼこ屋は、やがて広い駐車場を備える店舗になった。古い土蔵を改修したそのレトロな店には今、観光客が訪れる。
観音寺市の特産品、さかなのすり身の天ぷら(揚げかまぼこ)やちくわなどの消費量は年々減っているが、山地蒲鉾(やまぢかまぼこ)は、素材の良さと丁寧な仕事と新商品で売り上げを伸ばしている。
4代目社長の山地基嗣(やまぢもとつぐ)さん(44)は働き者だ。「おいしさ地域一番店」を目指して盆と正月以外は休みなし。「路地裏のかまぼこ屋」は、血縁地縁に支えられて、家業が企業になった。
生き方を変えた
息子のいない伯父の山地一広さん(2011年83才で没)は、後継ぎになれと言ってくれたが、先行きが不安で、仕事に身が入らなかった。
臼場(うすば)ですり身を作っていた伯父が、脳梗塞(のうこうそく)で倒れた。かまぼこ屋の要が28歳の山地さんに任された。守られていた立場から、守る立場になって生き方を変えた。
ピンチがヒット商品を生む

結婚して子供も出来ていた山地さんと従兄弟の山地準也さん(45)、そして8人の従業員は苦しくても仕事を続けることを選んだ。
売れる商品を作ろうといろんな具材を試してみた。イカ、ゴボウ、ネギ、枝豆、サツマイモの5種類を混ぜたすり身を手でちぎって、油で揚げる「おつまみシリーズ手練りちぎり天」がヒットした。
1年後、PB商品の売り上げを取り戻した。「とことん売り上げを落として、ピンチを経験したのが良かったんです」。山地さんは、手作り製品の商品力を実感した。
※PB
プライベートブランド:private brand。小売店・卸売業者のブランドで販売する商品。
路地裏食べ歩きツアー
同級生で、「満久屋 豊浦商店」の豊浦孝幸さんから声をかけられた。面白いと思って、参加した。食べ歩き出来るのは4カ所。燧灘(ひうちなだ)で捕れた殻つきエビを使ったエビ天を山地蒲鉾が、手焼きのえびせんべい「あいむす焼」を満久屋が出す。川島海産物と川鶴酒造は、伊吹いりこの食べ比べと地酒を味わえる酒蔵見学。新聞やタウン情報誌、テレビに取り上げられて次第に観光客が増えた。
※あいむす焼
えびの身だけを使い、煎餅状に蒸し焼きにしたもの。
「手作り1枚100円」のエビ天

手練り地エビ天
スーパーの小売値段は150円ほどだったが、500円のチケットを持ってきた観光客に、「エビ天」をいくらで売ったらいいのか分からなかった。
「わざわざ食べ歩きで来てくれるお客さんですから、100円にしたんです」。反響は大きかった。アツアツの揚げたてを食べた観光客は驚いた。「こんなエビを使って値が合うの」と聞かれた。
困ったことが起きた。スーパーから食べ歩きに出す限定品「手練り地エビ天」の注文がきた。機械なら1時間に1700枚から2千枚ほど作れるが、手づくりは5、600枚程度が限度だ。対応出来ないので機械製造の製品「丸天四兄弟」を提供した。
「路地裏天ぷら1枚100円」。地元のスーパーも特売日の目玉商品で売った。
※売り子さん
観音寺市のかまぼこ業会には、製造業者とともに、「売り子さん」という行商、販売業者が戦後100軒あったが、20軒ほどになっている。
名前売れて売り上げ減る
「従業員にも迷惑をかけるし、こんな商売を続けて良いのかと思いました」。山地蒲鉾の名前は売れたが売り上げは落ちた。踏ん張りどころだった。一方で少しずつ客が客を呼ぶようになっていた。
お客さんの「うまい、おいしい」という反応に、作業場に笑顔が増えた。みんなの仕事の歯車が合い始めた。作業場一筋の職人だった山地さんは、商売の面白さに目覚めた。
「観音寺と言えば燧灘です。そこで捕れるエビのうまみは最高やし、手づくりなら大手にも負けないと、『あいむす焼』の豊浦君と意気投合したんです」
「うまい」といわれた味を、いつまでも変えずに提供し続けようと決意した。
店舗を構える
素材の良さと手づくりの味に自負があった。お客さんは「アツアツでおいしい、冷めてもおいしい」と、声をかけてくれた。
1日5千円程度だった直販店の売上は10万円になった。
「カワジャン」開発

やまぢのカワジャン
「社長、ずうずうしいですけど、すり身を分けてくれませんか」。販売促進課長の赤迫好枝(あかさこよしえ)さん(40)が言った。
「PB製品をヒントに、自宅の台所で、鶏皮(とりかわ)を使ったスパイシーな味付けの製品を試作するというんです。これだと思ったんです。だって、魚も、皮と身の間がおいしいから」。山地さんは、知らないうちに成長していた社員の工夫に、感動した。
11年6月、パリパリに焼いた鶏皮とささがきにしたゴボウをすり身に練りこんだ「やまぢのカワジャン」を販売した。小売値1個380円は天ぷら製品としては高いが、妻で常務の小百合さん(39)の発想で、「ケーキに変わる手土産に」という狙いだ。当初は週1回の製造が、3回に増えた。
「町おこし」は恩返し
06年の「路地裏食べ歩きツアー」が転機になって小売を始めた。良い素材と丁寧な仕事が客の心をつかんで、「うまい」の声がエネルギーになった。ホームページを立ち上げ、販路が広がった。 店の前の通りのはす向かいに、古いレンガの倉庫がある。「そこを整備して、ちくわづくりをお客さんに体験してもらおうと思うんです」
伯父夫婦やいとこやその親族、隣のおばさんや従業員や地域の人たち。血縁地縁の深いつながりで、家業は企業になった。今度は山地さんが、恩返しの町おこしを仕掛ける番だ。
追憶と感謝
「朝6時に出社して、床のモップ拭きから始めてガラス磨きです。仕事が終わった後は、またモップをかけて、帰るのは夜9時か10時です」。作業場のフライヤー(油揚機)の掃除や製造ラインの雑菌処理など、汚れ仕事は従業員の先頭に立ってやる。
店舗の横の駐車場は、隣のおばさん、尾藤昭さんの家だった。敷地の真ん中に井戸とモッコクの樹が残っている。「毎朝ゴミ拾いや犬のフンを掃除しています。おばさんはきれい好きでしたから」
おばさんが東京に移った後、廃屋になっていた家が倒壊した。買い取って駐車場にしたが、土蔵を店舗に改修したとき、梁を再利用した。
「古い蔵の、木組みの天井のように取り付けました」。母が恋しくて父に反抗した少年時代への追憶と、先月9日に亡くなったおばさんへの感謝のしるしだ。
山地 基嗣 | やまぢ もとつぐ
- 1967年 観音寺市生まれ
1985年 丸亀高等学校定時制に通学しながら山地蒲鉾入社
(同校 87年卒業)
2009年 伯父の後を継いで社長に就任
現在に至る
- 写真
山地蒲鉾株式会社
- 所在地
- 観音寺市観音寺町甲2695番地
TEL:0875-25-3609/FAX:0875-25-3393 - 代表者
- 山地基嗣
- 従業員数
- 20人
- 事業内容
- 練り製品製造
- 売上
- 2億1000万円(2011年度)
- 主な販売先
- 四国山地食品(株)
(株)山陽マルナカ
(株)ショクリュー
(株)日本アクセス
美奈登商事(株) - 沿革
- 1907年 初代、山地勇吉が、えびせんや天ぷらの商いを始める
1997年 山地蒲鉾株式会社設立
2006年 観音寺食べ歩きチケットに参加
2010年 直売店舗を工場近隣に開設、事務所移転
2011年 「やまぢのカワジャン」発売
- URL
- http://yamakama.sakura.ne.jp/
- 確認日
- 2018.01.04
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