「売り場」を「買い場」へ ~DIYの創意工夫~

西村ジョイ 代表取締役社長 西村 泰昌さん

Interview

2011.08.04

自分で何でも作るDIYは、日本でなじみが薄かった。1975年、高松に日本で3番目のホームセンター「DIYジョイ」(現:西村ジョイ)が誕生した。

西村ジョイ社長の西村泰昌さん(72)は74年、アメリカのハイウエーでバスの中から万国旗がはためくホームセンターを見て、運命の出合いを直感した。

他業種と変わらず、競争は厳しい。多店舗展開のピンチを地域密着店舗へ転換して切り抜けた。今年、ホームセンター成合店に、プロ・業務対応の店「ジョイプロ」を併設展開した。創業35年で到達した専門化と総合化。プロと一般顧客の多様なニーズに応える敷地面積5万2千㎡の巨艦店だ。変化をチャンスに変えてきた西村さんのひとつの通過点だ。

※DIY
Do It Yourselfの略。住宅の補修、ログハウスなどの小屋建て、一般住宅の設計・建築まで含まれる。日曜大工よりも広い概念。

※ホームセンター
主として日用雑貨や住宅設備に関する商品を販売する小売店。アメリカのホームセンターは、住宅の基礎から骨組み、内外装のすべてが一カ所でそろう。

26歳の誓い

西村さんは父の清勝(故人)さんが創業した西村木材(株)の2代目だ。戦後の復興を支えた木材事業がピークを迎えていた26歳の時、新規事業で宅地造成を手がけた。当時は、農地法だけで規制が厳しくなかった。買った土地に道路を造れば5~6倍で売れる時代だった。

「これでええと思うんか」。造成地を見まわっていた時、畑仕事をしていた男性に胸ぐらをつかまれた。胸にこたえた。「国の土地を切り取って自分のもうけにするのはおかしい。だれにも後ろ指をさされない商売をしよう」と誓った。

運命の出合い

西村さんは74年、ツーバイフォーの住宅事業を目指して、「アメリカ住宅技術視察団」に参加した。「ロサンゼルスのハイウエーで、バスの中からちらっと見えたんです。視察予定にはありませんでしたが、添乗員に無理に頼んだんです」。着いたのが夜の10時ごろだったが、店のオーナーに会えた。そこは材木屋が始めたホームセンター「ハンディマン」だった。材木や金物、ペンキ、工具など住宅建築資材がすべてそろう、日本にない形態だった。

ワンストップショッピングと手作り仕事に楽しみを見いだすDIY・・・・・・やがて日本にも起こる流通の構造変化と新しい市場に出合ったのだ。

「全身全霊でブルブル震えたあの感動は、今も忘れません」。西村さんは37年前の偶然の出合いを振り返る。

さらに、帰りの飛行機で隣に座ったのが、ツアーの同行者で、息子さんがホームセンターをやりたいという静岡県富士市の遠藤材木店社長、遠藤長太郎さんだった。「日本に着くまで夢中で話し合って、お互いの夢が具体化しました。発想は誰でもしますが、一歩前へ進まないと実現できません。アメリカでの出合いと、この会話で決断できました」

日本で最初のホームセンターは72年に開店した、さいたま市中央区のドイト(株)だった。74年には静岡県富士市で遠藤社長のホームセンター「エンチョー」が。そして翌年、西村さんがホームセンター「DIYジョイ」を高松に誕生させた。

※ツーバイフォー
北米で開発された建築工法で、日本では枠組壁工法という。2インチ×4インチの規格材を主にした基本構造になっているので、ツーバイフォーと呼ばれる。

※ワンストップショピング
あらゆる商品を品ぞろえして、消費者が必要な物を、一カ所ですべて購入できること。

家業を裏切らない品ぞろえ

西村さんは、父の清勝さんを説得して、西村木材が新築した材木倉庫を店舗にした。清勝さんは、「何をやってもいいが、材木屋の本業を忘れるな」とだけ言った。

ホームセンター業界には、ハード型「木材・建材・資材」と、ソフト型「食品・日用品やレジャー用品」の商品分類がある。西村さんはアメリカで見たホームセンターのハード型にこだわった。

「ハード型商品を建築業者や職人さんに直接売るということは、本業の木材卸事業のお得意、二次問屋を敵にするわけです。取引をやめる人も出ました」

ホームセンター事業が、父の信用を裏切ることになる。悩んだ西村さんはやむを得ず方針を変えた。「ハード型とソフト型をバランスよく品ぞろえしたんです。それが集客力になって経営的にはよかったんです。ハード型にこだわっていたら、生き残れなかったのかもしれません」

多くの日本のホームセンターと同様に、バラエティーあふれる品ぞろえで、「DIYジョイ」は成長した。

戦略変更

他業種からのライバル参入もあったが、売り上げは順調に伸びた。75年の高松店をはじめ香川県内に10店舗、山口県に1店舗、広島県に2店舗、愛媛県に1店舗を出店した。

「97年の正月でした。自分がやりたいのはお客様の喜びをつくることで、会社を大きくすることではない。基本に帰らなければいけないと気付いたんです」

経済は90年をピークに調整期に入っていた。「修理もアフターサービスもきちんと出来る、西村ジョイにいけば何とかしてくれる店にしようと決めたんです」

西村さんは「売り場」という言葉を使うのをやめた。「お客様にとっては、『買い場』だと気付いたんです」。西村さんは、多店舗展開から地域密着店へと戦略を変えた。

「買い場」の発想

商品の陳列には、工夫と手間をかける。「お客様の買い場に」という西村さんの発想を具体化する、大切な表現だからだ。

商品は1個単位やケース単位で売るのが当たり前だが、西村ジョイは「単位・種類・売り方」を工夫する。蚊取り線香は夏を越すのに必要な量を、入浴剤はラベンダーとかジャスミンなど香りを組み合わせて、それぞれパックにする。扇風機は組み立てて売る。家庭で段ボールを資源ごみに出す手間を省くためだ。

「商品の特性や家庭で使う量を考えるんです。ただし1本単位でもパックでも値段は同じです」。数が多くても値引きなしは、社員からも反対されたが、買い場の発想は変えなかった。

お客さんの便利のための工夫と手間が、少しずつ理解されて売り上げにつながった。

材木屋の原点は変わらない

今年11月で15周年を迎える朝生田(あそうだ)店(愛媛・松山市)を、5年前、プロユースの店舗にした。「立地条件が悪く経営が苦しかったので、思い切ってプロ向けに徹底したんです。お客さんは職人さんが90%以上で、黒字になりました」。建築資材業界の流通経路が変わってきた。この変化を新しい市場に、という戦略だ。

材木屋の原点は変わっていない。木材産地の製材業者とタイアップして、計画生産した材木を販売している。荒れた山から末端ユーザーへの道筋をつけて、山の復活に貢献したいというのが西村さんのライフワークであり、構想でもある。

「材木は西村ジョイのたった一つのプライベートブランドです。地場の木で建てた家は強いんです」

西村さんは戦略を何度も変えてきた。変わらないのは経営の原点、「本業は材木屋」だ。プロと一般顧客の多様なニーズを満足させる成合店の正面には、木材部門「ジョイプロ」を据えた。日本のどこにもない店構えが西村さんの心意気だ。

DIY(Do It Yourself)

DIYという言葉を日本のホームセンター業界で初めて使ったのは西村さんだと言われている。日本で3番目のホームセンター「DIYジョイ」が、その証だ。

「経済と文化を調和することで、新しいビジネスが成立すると思っていたので、DIY(Do It Yourself)という英語の意味を大事にしたんです。自分で作れば大きな節約になるからこれは経済です。自分でやることの大きな喜びは文化です。その意味を日本で普及させようと思って『DIYジョイ』という店名にしたんです」

その西村さんに意外にもDIYの趣味はまったくない。大工仕事はやらないしペットも飼わない。園芸にも関心がない。

「DIYをやらないから、こうしたらいかんとか、こうすればいいとか、素人の発想で見えてきますね。私は車に乗るのが嫌いですが、カー用品も見えてくるものがあるんです。これは、上から目線の経営者発想ということでしょうか、反省をしていますけども・・・・」。照れながら笑った。

西村 泰昌 | にしむら やすまさ

1939年 高松市生まれ
1961年 関西大学商学部卒業
1975年 DIYジョイ高松店オープン
1978年 西村木材株式会社取締役社長に就任
現在に至る
写真
西村 泰昌 | にしむら やすまさ

西村ジョイ株式会社

住所
香川県高松市成合町891番地1
代表電話番号
087‐885‐8000
設立
1952年3月
社員数
660人
事業内容
木材事業、住生活関連用品の販売、カード事業、リフォーム事業 他
資本金
9000万円
グループ会社
西村木材、西村ホームズ、西村興産
地図
URL
https://www.nishimura-joy.co.jp/
確認日
2020.11.05

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