海の輸送を支えながら、将来への種まきをしたい

四国フェリー 社長 堀川満弘さん

Interview

2019.04.18

高松―土庄を結ぶフェリー「Olive Line」が入港するサンポート高松で

高松―土庄を結ぶフェリー「Olive Line」が入港するサンポート高松で

船をいっぱいにした充実感

四国フェリーの始まりは、木造船に車を載せて高松―宇野間を運ぶ自動車渡船事業。1956年に祖父が会社を設立し(当時は四国自動車輸送株式会社)、高松と宇野(岡山県玉野市)に営業所が設けられた。2年前に小豆島で生まれた堀川満弘さん(64)は、宇野営業所を取り仕切る父母とともに3歳から宇野で過ごした。

「当時、高松―宇野間は24時間運航をしていなかったから、朝一番の船を待つ間、トラックの運転手さんは営業所兼わが家の2階に宿泊していました。1階には切符売り場があって…」。子どもの頃から船は身近な存在だった。
祖父が海運業を営んでいた頃の木の機帆船「春日丸」の模型

祖父が海運業を営んでいた頃の木の機帆船「春日丸」の模型

その後、荷物を運ぶトラックの増加や自動車の大衆化が進むと、本州と四国を結ぶ重要な交通手段としてフェリーの需要はますます高くなり、会社は自動車だけではなく旅客も同時に運ぶ旅客フェリー事業の免許も申請した。

入社した83年はフェリーが最も脚光を浴びていた時期で、24時間運航の高松―宇野だけではなく、高松―土庄、岡山―土庄、高松―神戸の航路があった。「夜中2時の便でも満席で、車の誘導は大変でした」。どうやったら効率よく積めるか、並んで待つ車を見て計算しながら1日で600台以上をさばく。「仮眠をとりながらの勤務は体力的には厳しかったけれど、船をいっぱいにしたという充実感がありました」

すべての航路を経験したことが今の財産になっているという。「現場を知っているからこそ、安全が何よりも大切だと身に染みて感じます。時間を気にするあまり問題が起こるのは本末転倒。お客様には丁寧に対応して安全運航すること。社員たちに常に言っています」

時代の変化の中で

安全運航が何より大事だと実感します

安全運航が何より大事だと実感します

好調だった旅客フェリー事業が転機を迎えたのは、瀬戸大橋が開通した88年だった。徐々に利用客が減り、98年の明石海峡大橋開通後に神戸航路が廃止。さらに2009年、高速道路の休日上限1000円が始まり大きな打撃を受けた。

社長に就任したのは事業を取り巻く環境が厳しくなった頃だった。「宇高航路をどう存続させればいいのかずっと悩んでいました」。一度は撤退も考えたが、会社の中心的な航路として長年続けてきた、生活の足としての意義も大きいと思い直した。競合会社は撤退し、現在は唯一残る宇高航路として1日5便で運航を続けている。

大変なことも多いが、「『苦難福門』という言葉を思い出すようにしています。困難から逃げずにいれば福が訪れる。苦しいことは楽しいことの前触れだと思っています」

宇高航路は厳しい状況だが、もう一つのメイン航路である高松―土庄便は、10年の瀬戸内国際芸術祭をきっかけに少しずつ観光客が増え始めた。最近では、インバウンド需要も増えている。これを機に、生まれ故郷である小豆島を拠点とした事業にも力を入れている。

14年には小豆島豊島フェリーをグループ企業にした。質の高いオリーブオイルで知られる小豆島オリーブもグループ化した。3月には、土庄港観光センターをリニューアル。小豆島のお土産販売のほか観光情報コーナーを設置したほか、レンタサイクルや手荷物預かりなど快適に観光できるサービスも提供している。

「経営というのは川の中にいるようなもの。何もしなければ流されてしまうし普通に頑張っても現状維持、それ以上に頑張らないと会社の存続は厳しい。海上輸送という本業はしっかり守りつつ、新しいことにも挑戦していきたい」

トラックで小豆島の魅力を発信

小豆島の名所を描いたトラック

小豆島の名所を描いたトラック

今、荷台の後ろに小豆島の名所を描いたトラックが小豆島外を走っている。島の運送会社5社に協力してもらい、各社2台ずつ寒霞渓や映画村などの写真をトラックにラッピングした。四国フェリーの広告を一切入れなかったのは「まず小豆島に来てもらうことが第一だと思ったから。高速道路でトラックを見かけた人に、少しでも興味を持ってもらえたらそれが小豆島を訪れるお客さんの増加につながる」

小豆島の魅力を発信する取り組みを続ける中で、「自分の会社だけがよければ、ではなくあらゆる業界の人が一つにならなければいけない」と痛感している。みんなで地域を活性化すれば、それが自社の利益につながる。そのため、交通機関も観光施設、ホテルなどが1つのチームになって全国に観光キャンペーンに行きたいと考えている。

「今年は瀬戸芸が開催され、また島が注目されると思います。ただ、それは一過性のもの。インバウンドもいつまで続くか分からないし、日本人観光客が減少しているのも気になります」。だからこそ、事業も地域活性化も先を見据えなければならない。「海上輸送という生活の足を守るためにも、5年後、10年後に向けていろんな種まきをしていきたいですね」

石川恭子

堀川 満弘 | ほりかわ みつひろ

略歴
1954年 小豆郡土庄町生まれ
1973年 岡山県立玉野高校 卒業
1977年 慶應義塾大学法学部 卒業
    百十四銀行 入行
1983年 同行 退行
    四国フェリー 入社
2002年 営業部部長
2010年 代表取締役専務
2011年 代表取締役副社長
2013年 代表取締役社長
2014年 小豆島豊島フェリー株式会社代表取締役社長
    香川県旅客戦協会会長
 18年 小豆島観光協会会長

四国フェリー株式会社

住所
香川県高松市サンポート8-28
代表電話番号
087-851-0131
設立
1956年
社員数
88人
事業内容
一般旅客定期航路事業

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