
店は、削り節、いりこ、昆布、海苔、干し椎茸、わかめ、煮干し、ちりめんじゃこ、するめなどが所狭しと置かれて、まるで乾物のよろずやだ。
終戦の翌年、焼け跡に店を開いた。復興期から成長期、商売を拡げた。大型スーパーの進出や食生活の変化で、店頭売りは減少したが、うどん屋用が伸びた。
夫の亡き後、平井ハナヱさん(97)が、息子の丸一倉庫社長 平井信一さん(68)と切り盛りしてきた乾物と海産物の専門店は、高松市の商店街・南新町で健在だ。
「値段と品質と品ぞろえは、量販店や大手食品メーカーにも負けません」。食品業界の寡占化が進んだが、薄利多売の鉄則で店を支えてきた。
和食世界文化遺産登録
ユネスコの無形文化遺産に2013年12月登録。
削り節
かつお節や、さば、いわし、まぐろ等の干し魚を薄く削ったもの。かつお以外を原料にするものは「削り節」と呼ぶ。
だしは和食の基本

成長が当たり前だった祖母や父が思いつかない取り組みも、若い世代のアイデアだ。客にだしを振る舞ったり、節分に香川産の海苔を使った巻寿司の恵方巻きを販売した。東京市場など全国向けにネット通販も始めた。
行列が出来て売れた
「市街地は焼け野原で、店から当時の国鉄高松駅や三越が見えました。配給を貰うために、7軒で町会をつくりました」。鉄筋だけ残った焼け跡に、トタン板を張った。店の奥の一部屋で、ハナヱさんと夫の将信さんと3人の子供たちが寝起きした。
将信さんは九州や北海道の産地を回って、現金で仕入れた。「函館から届いた干し数の子を、樽に入れて水で戻して薄皮をむきました。木箱で送られてきたするめを、10枚ずつ束にしました」。子ども時代の信一さんの仕事だった。
品物を店先に並べると行列が出来て売れた。行列の後ろにまた人が並んで、前の人に何を売っているのか聞いた。
神戸時代の仕入れルートで品物が入った。近郊の農家が乾物や野菜を持ち込んだ。香川県中から買いに来た。徳島や岡山から行商人が買い出しにきた。
商店街のにぎわい
番頭の小池和則さん(故人)と妻の富子さんは住み込みだった。「子どもがおらんから、私の隣の部屋で、2人の孫を抱いて寝てくれました」
1960年代の商店街は、琴電の瓦町駅から常盤街、南新町、丸亀町、三越へと人通りが流れてにぎわった。
「常盤街にあったダイエーの守衛さんが万引きを捕まえたら、うちの商品も盗っていたことがありました」。盗品を引き取りに行ったことを、信一さんは覚えている。
冷蔵室と倉庫で商売が大きくなった
夏も冬も、店頭の商品を冷蔵室へしまって、翌朝また店に出した。品質の良い自家製造の花かつおで、さらに販売量が増えた。
仕入れが増えて、原料が店で保管できなくなった。貸倉庫に預けたが不便になって、自前の倉庫を建てた。
冷蔵室と倉庫のお陰で、商売が大きくなった。3軒隣の大型店舗を買収。1956年丸一百貨店開業。菓子を売った。
「現金商売の百貨店は、親父の夢でした」。従業員は80人ほどになった。このころがピークだった。車社会が到来した。スーパーが店舗を郊外に増やした。商店街の客足が遠のき始めて、丸一百貨店は売却した。
「28歳の時、親父が病で倒れました。75歳で亡くなるまで、10年ほどは臥せがちでした」。取引先に誘われて始めたゴルフもやめた。仕事一筋になった。
乾燥で大手と勝負
削り節は、削ると粉がでる。粉が少ない方が、製造単価を下げられる。乾燥の度合いは、粉の歩留りと味のバランスで決まる。
「歩留りより乾燥を優先して、味で大手食品業者と勝負しています」。歩留りが悪くても、商いが出来るのは、40年余りの経験で編み出した極意があるからだ。
「在庫が多すぎる」が極意

「在庫と仕入れの相関関係」が極意だ。薄利多売は商売の鉄則。相場が上がっても在庫があるから値上げはしない。
極意は、リスクを適切に管理する金融工学理論のようだ。経験がものをいう「在庫」の工学理論で、乾物のよろずやは、南新町商店街で生き残った。
うま味調味料と称する化学調味料は、味も滋養(じよう)も、天然だしには敵わない。久しぶりに店に出たハナヱさんの顔は、昆布と削り節で湯上がりたまご肌だ。
相関関係
一方が変化すれば他方も変化するような関係。
金融工学
資産運用や取引、リスクヘッジ、リスクマネジメント、投資に 関する意思決定などに関わる工学的研究全般のこと。
◆写真撮影 フォトグラファー 太田
平井 ハナヱ | ひらい はなえ 平井 信一 | ひらい しんいち
- 平井 ハナヱ
- 1917年 旧綾南町生まれ
- 平井 信一
- 1945年 高松市生まれ
1968年 日本大学商学部卒業。家業に就く
1975年 丸一倉庫(株)代表取締役就任 現在に至る
- 写真
丸一倉庫 株式会社
- 所在地
高松市城東町1丁目2番34号
TEL:087-851-3506(代)
FAX:087-822-9606- 代表者
- 取締役社長 平井信一
- 創立
- 1959年
- 資本金
- 2000万円
- 従業員数
- 36人
- 事業内容
- 営業倉庫、乾物海産物問屋、味付けのり製造問屋
- 沿革
- 1934年 神戸市灘区水道筋3丁目8番地に於いて海産物乾物商を開始。同地在住15年
1945年 戦災のため焼失、高松に帰郷
1946年 高松市南新町にて乾物海産物商株式会社丸一商店を創立。営業開始
1956年 高松市南新町の旧太丸百貨店(常盤百貨店)を買収再建改造
上記百貨店を株式会社丸一百貨店として営業開始
1959年 高松市城東町1丁目2番34号に丸一倉庫株式会社を設立
1963年 上記3社を合併し、丸一倉庫株式会社として、現在に至る
- 確認日
- 2018.01.04
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