讃岐配流となった宗良親王は、山陽道を下り現在の下津井から舟で詫間に上陸したといわれています(阿野(あや)郡松山の津<現・坂出市林田>に上陸したという説もある)。親王の讃岐での行跡には諸説あるようですが、一説には荘司の詫間三郎に預けられ、しばらく海辺に近い地に滞在した後、勝間郷加茂村松林(現・三豊市高瀬町)の丘上で過ごし、まもなく林田の松山に移されたといいます。
その後、後醍醐天皇は、密かに隠岐島から脱出し、伯耆(ほうき)国船上山(せんじょうざん)で挙兵します(元弘3年<1333>)。これにより各地の軍勢が、続々と天皇方に味方するようになり、ついに鎌倉幕府は滅亡して「建武の新政」が始められます。宗良親王も讃岐に留まること1年3カ月の後、京へ戻ります。しかし、新政はわずか3年で挫折し、南北朝の争乱が始まります。この争乱の中、宗良親王は各地を転戦し、武蔵野合戦・小手指原(こてさしがはら)の戦い(1352年、現・埼玉県所沢市)のときには、将兵の士気を上げるため「君のため 世のため何か 惜しからむ 捨てて甲斐ある 命なりせば」という歌を詠んでいます。この歌は坂本龍馬がよく口にしたといわれています。
村井 眞明
歴史ライター 村井 眞明さん
- 多度津町出身。丸亀高校、京都大学卒業後、香川県庁へ入庁。都市計画や観光振興などに携わり、観光交流局長を務めた。
- 写真
歴史ライター 村井 眞明さん
おすすめ記事
-
2023.06.01
美濃から来讃した生駒氏
シリーズ 中世の讃岐武士(34)
-
2023.04.20
九州で島津軍と戦った讃岐武士
シリーズ 中世の讃岐武士(33)
-
2023.03.02
秀吉軍と戦った讃岐武士
シリーズ 中世の讃岐武士(32)
-
2023.02.02
土佐武士の讃岐侵攻⑥(東讃侵攻)
シリーズ 中世の讃岐武士(31)
-
2022.12.15
土佐武士の讃岐侵攻⑤(十河城包囲)
シリーズ 中世の讃岐武士(30)
-
2022.11.03
土佐武士の讃岐侵攻④(香西氏の降伏)
シリーズ 中世の讃岐武士(29)
-
2022.10.06
土佐武士の讃岐侵攻③(中讃侵攻)
中世の讃岐武士(28)
-
2022.03.17
イリコの島に残る戦国秘話
中世の讃岐武士(23)
-
2022.02.17
三好の畿内奪還の戦いで信長軍と対峙した讃岐武士
中世の讃岐武士(22)
-
2021.12.16
讃岐を支配した阿波の三好氏
中世の讃岐武士(20)
-
2021.11.18
東讃から始まった讃岐の戦国時代
中世の讃岐武士(19)