育てて、勝つ 雑草軍団を率いて

香川オリーブガイナーズ 監督 西田 真二さん

Interview

2015.04.02

「お~、かかった、かかった。よかったな~」。昨年10月23日に行われたNPB(日本野球機構)のドラフト会議。西田真二さん(54)は手を叩いて大きな声をあげ、指名されて涙ぐむ選手と固い握手を交わした。

香川オリーブガイナーズの監督になって8年。その間、実に18人もの選手をプロ野球へ送り込んだ。4チームある四国IL(四国アイランドリーグplus)内はもちろん、他の国内チームの中でも飛び抜けた数字だ。

夏の甲子園優勝、東京六大学でリーグ優勝、ドラフト1位で広島カープ入団。エリートコースを歩んだ後は、ハングリーな雑草軍団とも言われる独立リーグへ単身乗り込んだ。

ガイナーズで迎える9度目の春。雑草たちと共に戦う新たなシーズンは、4月11日に幕を開ける。

8年連続でドラフト指名

「又吉がいなかったらドラゴンズは最下位だったと言われた時はうれしかったね」

一昨年のドラフト会議で中日に2位指名され、入団1年目の昨シーズン、中継ぎエースとして大活躍した又吉克樹投手(24)はガイナーズ出身だ。最速151キロのストレートとキレのあるスライダーを武器に、67試合に登板し防御率は2.21。侍ジャパンにも選ばれた。

「彼の功績は大きいです。結果を残せばプロのスカウトも『ガイナーズにはいい選手がいるんじゃないか』と注目するようになる。選手たちの刺激にもなります」。昨年のドラフトでは2選手がヤクルトと巨人に指名された。

監督になったのは2007年。ガイナーズの選手はこの年から8年連続でドラフト指名され、計18人がプロへ行った。四国IL発足年の愛媛での監督時代を含めると20人に上る。10年足らずで20人。甲子園常連校や社会人の名門チームと比べても抜きん出ている。

なぜ西田さんの元から多くのプロ野球選手が生まれるのか。ガイナーズの関係者は、「選手を売り込む能力がずば抜けている」と話す。

自身の現役時代の人脈をフルに活用してスカウトと親しくなり、「電話魔」と呼ばれるほど頻繁に連絡を取る。「こんな選手がいますよ」「この選手、面白いんじゃないですか」と特長を説明しPRする。そして、選手の調子が良い時を見計らって試合を見に来るよう勧めるという。

「そう大したことではない。特別なことは何もしていない」と西田さんは謙遜する。「ただ言えることは、良い選手に対しては評価される土俵には最低限でも上げてあげたい。最終的に選手を見極めるのはスカウトですが、選手たちは評価されてなんぼですから」

プロへ送り出す一方で、その何倍もの選手が野球をあきらめ、去っていく姿を見てきた。ILの4チームに所属する選手は25人ずつの計100人。毎年、このうちの約半数が退団している。「野球が好きで好きでたまらない若者たちが自分の居場所を求めて集まって来ているんです。だから、できる限りのサポートをする。ただそれだけです」

律することから始めたチーム作り

西田さんの指導は厳しいと評判だ。監督に就任した時のチームの印象は「なれ合い集団」。プロを目指す真剣さがないと感じた。

広島カープでの現役時代、一緒にプレーした山本浩二選手や衣笠祥雄選手らは皆、自分に厳しかった。少しでも調子が悪ければ、自ら早朝の特打ちをやるのは当たり前。「赤ヘル黄金時代」と呼ばれていた当時、それが強い広島の伝統だった。

「私も初心に戻って、自分を律することから始めました」。まずは時間厳守を掲げ、練習開始の1時間半前にはグラウンドに出て準備した。続けるうちに選手がつられ、コーチ陣もつられて早く出て来るようになった。「今は疲れてきたので1時間前に行くようになりましたが、選手はすでに来ています。これはもうガイナーズの伝統になっていますね」

礼儀、あいさつ、地域への奉仕活動・・・・・・野球以外の面でも口酸っぱく指導する。プロへ行けるのはほんの一握り。別の人生を歩むことになっても、ガイナーズでやって来た経験を生かしてほしいという思いがそこにはある。「私が厳しくやるんで、みんな打たれ強くなっていると思いますよ」

元気の良い人材を探していた企業に退団する選手を紹介したところ、研修でNo.1の成績を収め入社が決まった。また、レギュラーになれなかった別の選手は退団後、保育士になった。先日、「監督、元気でやってますか」と訪ねて来たそうだ。「プロで活躍してくれるのもうれしいですが、OBとして顔を見せに来てくれる。こんなにうれしいことはないですね」

大観衆の前でプレーさせたい

決起集会であいさつする西田監督=3月23日、高松市木太町の高松国際ホテル(写真 朝日新聞 初見翔)

決起集会であいさつする西田監督=3月23日、高松市木太町の高松国際ホテル(写真 朝日新聞 初見翔)

名門、大阪・PL学園でエースと4番を務め、夏の甲子園で全国優勝した。準決勝で4点差、決勝では2点差を9回からひっくり返し、「逆転のPL」という伝説を生んだのが西田さんだ。法政大学時代、打者に転向し東京六大学で3度のリーグ優勝。ドラフト1位で広島に入り、レギュラーには定着できなかったが、思い切りの良いバッティングで4番を任されることも多かった。

「悔しさ、つらさも全て結果として出さなければならない。目標を成し遂げた先には達成感があります。強いチームを歩んだ経験は今に生きていると思います」

華やかな経歴を誇る西田さんだが、その原点は弱小チームだった小学生時代にある。監督は父親だった。「本当に厳しくてね。鍛えられましたし、よく殴られもしましたよ」

父は80歳が近い今でも総監督として指導を続けているという。「大したもんだと思います。ずっと必要とされて、良いチームに育て上げるわけですから。子どもに接する熱意や野球に対する思いが純粋なんでしょうね」

西田さん自身、40代の頃はプロ野球の指導者に復帰したいと考えていた時期もあったと打ち明ける。しかし50歳を過ぎ、「ガイナーズが必要としてくれるなら、それが一番ありがたいことだ」と思うようになった。「好きな野球に携わることができて、悩んで考えて、ほんの少しの喜びを選手からもらう。ずっと監督を続けている父の気持ちがガイナーズに来てやっと分かりました」

西田さんには夢がある。かつて自身が経験した大観衆の前で選手たちにプレーさせてあげることだ。「3万、4万とは言いません。1万5000人でいいんです。もちろんそうするには私たちも努力しなければなりません」。ガイナーズの観客動員数は1試合平均800人余りだ。「お客さんに良いプレーを見せて喜んでもらって、そして勝つ。選手たちには魅力あるコンテンツになることも意識して、さらにたくましくなっていってほしいですね」

◆写真撮影 フォトグラファー 太田 亮

西田 真二 | にしだ しんじ

1960年8月3日 和歌山市生まれ
    PL学園高時代、第60回全国高校野球選手権大会で優勝
    法政大時代、東京六大学リーグで優勝3度、ベストナイン選出5度
1982年 ドラフト1位指名で広島東洋カープ入団
1995年 シーズン終了後、現役を引退
    < 通算成績(広島13シーズン)>
    787試合 1412打数 402安打
    44本塁打 打率.285
    広島1軍打撃コーチ、野球解説者などを経て
2005年 愛媛マンダリンパイレーツ監督
2007年 香川オリーブガイナーズ監督
写真
西田 真二 | にしだ しんじ

香川オリーブガイナーズ ※「ガイナ」とは香川の方言で「強い」という意味

住所
高松市香西東町267番地1
TEL:087-813-1466
FAX:087-813-1467
社名
香川オリーブガイナーズ球団株式会社
球団社長
川畑省三
設立
2006年3月
資本金
3305万円
確認日
2018.01.04

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