運輸、物流、観光 産業インフラを支える

高松商運 社長 松村 英幹さん

Interview

2015.08.06

高松商運は1884(明治17)年の創業以来、四国・香川の空と海の玄関を守り続けてきた。

高松空港では全日本空輸(ANA)の総代理店として、チケットの発券、機体の運航業務や貨物業務などあらゆる地上業務を担っている。空港で目にするANAの制服を着たスタッフのほとんどは高松商運の社員だ。一方、高松港では韓国や中国の港を経由して世界各地へ運ばれる国際貨物の港湾荷役、代理店業務や通関業などコンテナ船の入出港をサポートしている。

「飛行機や船は持っていませんが、我が社が無ければ国内外に旅客や荷物が届けられないという自負があります」

松村英幹さん(54)が4代目の社長に就いて10年余りになる。入社した当時、会社は厳しい状態だった。「経営者と社員が別々の方向を向いていたんでしょうね」

経営の危機、労働組合との対立・・・・・・数々の障害を乗り越えながら松村さんが行き着いたのは、顧客満足と社員の幸せを徹底的に追求する経営哲学だった。

「ありがとう」と言われる幸せ

高松空港の到着ロビーで泣いている小学生の女の子がいた。スタッフが事情を聴くと、北海道の旭山動物園で買ったお土産の傘が壊れてしまったという。すぐに旭川空港に連絡して新しい傘を送ってもらい女の子に渡したら、とても喜んでくれた。

「良いサービスで顧客に喜んでもらう」。松村さんが最も重視していることだ。

「お客さんに喜ばれることで、信頼されて認められ、選んでもらえる会社になる。それが私達の目標です」

業務が多岐にわたる高松商運の顧客は幅広い。高松空港では総代理店契約を結ぶANAの他、地上業務を請け負っているアシアナ航空や春秋航空、春秋航空日本などが顧客だ。例えば運航業務の場合、時間通りに機体を発着させれば航空会社も乗客も喜んでくれる。「目的地の天候はどうか、体調が悪い乗客はいないかなど、運航に必要な情報を乗務員に密に連絡し、貨物を積み降ろす時間管理なども徹底しています」。ANAが全国50空港を対象に行っているサービス品質表彰の総合部門で、高松空港は何度も日本一になっている。

高松港では韓国や中国の海運会社や荷主が顧客だ。港湾荷役や集荷業務、通関業務、役所への書類提出などを代行している。「阪神港や京浜港ではなく高松港を使ってもらうために、荷主さんへのサービスを充実させるのはもちろん、利用しやすい航路を誘致するのも我々の仕事です」
顧客に喜ばれるサービスをした社員には「たまご大賞」が贈られる

顧客に喜ばれるサービスをした社員には「たまご大賞」が贈られる

松村さんが顧客満足を追い求めるのには、もうひとつの狙いがある。社員が良いサービスをした時、その事例を社内で積極的に告知したり表彰したりしている。

「お客さんにありがとうと言われることを、自分達の幸せと感じる。この価値観を社員たちと共有したかったんです」

経営者になりたての頃、分厚い壁が目の前に立ちはだかった。その時たどり着いたのが、この考え方だった。

経営危機、労組の反発

1988年、松村さんは27歳の時、祖父が立ち上げた高松商運に入社した。「当時、ANAは高松・伊丹便を一日12便運航していました。いつ見ても満席だったので、会社は儲かっているんだろうと思っていました」。しかし実際は違っていた。帳簿を調べてみると会社は赤字を抱え、運転資金が枯渇していることが分かった。

元々業界的に労働組合の力が強い体質の会社で、分不相応な高額の賃金と極めて緩い勤務体制という極端な労働条件が赤字の一番の原因だった。「多くの借入もあったので、私の一生はこの借金を返済して終わるんだろうなあと思っていました」。会社から帰宅して布団に入り天井を見つめながら、「何とかしなければ・・・・・・」と思い悩む日々が続いた。

効率化を図ろうとパートタイマーやコンピューターの導入を提案した。しかし、労組側も社員たちの立場や権利を守ろうと、「社員の仕事を奪わないでほしい」と必死に抵抗した。新高松空港の開港や空前の旅行ブームで業績が一時持ち直した時期はあったものの、根本が解決したわけではなく、労組と経営陣との対立関係は解消されないままだった。

なぜ労組は分かってくれないのか・・・・・・「当時は、どうにかして会社を守らなければならないという意識の方が強かったと思います。本当に社員の幸せを考えた経営が出来ていませんでした」

社員のことを第一に考えるES(Employee Satisfaction)経営を志した。京セラ名誉会長の稲盛和夫さんが主宰する経営塾「盛和塾」にも入り助言を仰ぎ、「顧客満足の実現と全従業員の物心両面にわたる幸せを追求する」「職務を通じて地域社会に貢献する」という企業理念を掲げた。従業員満足度調査をして社員が何を考えているのかを聞き出すことにも努めた。「雇用を守って会社も守る」と労組に約束し説得を続け、会社の体質を変えていった。

「価値観を合わせてベクトルをそろえていこうと社員にも組合にも理解してもらい、みんなで夢を語り合いました。財務内容も劇的に改善し、労使間の対立も解消しました」。毎年毎年コツコツと20年かかりましたと松村さんは振り返る。

良質な産業インフラを提供

チケットカウンターで発券業務などを行う高松商運のスタッフ=高松空港

チケットカウンターで発券業務などを行う高松商運のスタッフ=高松空港

「交通体系は何十年に一度、大きな変化を起こします。ピンチに立たされることもあれば、チャンスが生まれることもあります」。代理店業は社会情勢や、航空会社や船会社の事情に大きく左右される。

瀬戸大橋の開通に伴い、利用客が減少した高松と伊丹を結ぶ空路が廃止された。明石海峡大橋が出来た時には、代理店契約を結んでいた高松・神戸間を運航する関西汽船のジャンボフェリーが廃止になった。「ジャンボフェリーは年間15億円の売り上げがありましたが、それが一夜にして無くなりました」。また、2001年に発生したアメリカ同時多発テロや、03年に流行したSARS(重症急性呼吸器症候群)では航空需要が激減した。その一方で、「かつては、まさか高松空港に上海便や台北便が出来るとは誰も考えていませんでした。もしかしたら10年後には東南アジアへ向かう便が何本も就航しているかもしれません」

今最も注目しているのは、高松空港の民営化と四国新幹線についての議論だ。高松商運に出来るのは、良質な次世代の産業インフラを提供していくことだと松村さんは話す。

「私達のビジネスは運輸や物流や観光などの産業を支えていくことです。利用者に満足してもらえる良いサービスを実現し、社員と一緒に地域のにぎわいの創出や交流人口を増やすことにも貢献していきたいですね」


◆写真撮影 フォトグラファー 太田 亮

松村 英幹 | まつむら ひでき

1961年 高松市生まれ
1986年 関西学院大学社会学部 卒業
     大阪の空調メーカーを経て
1988年 高松商運株式会社 入社
1989年 取締役
1995年 常務取締役
2004年 代表取締役社長
写真
松村 英幹 | まつむら ひでき

高松商運株式会社

住所
高松市サンポート1−1 高松港旅客ターミナルビル8F
TEL:087-851-5661
創業
1884年
設立
1942年
資本金
2000万円
従業員
121人
年商
32億円
事業内容

船舶・航空運送代理店業及び取扱業
旅行業、港湾運送事業、倉庫業、通関業
飲食業 他
主な取引先

全日本空輸、日本航空、アシアナ航空
春秋航空、商船三井、川崎汽船、高麗海運
汎洲海運、長錦商船、ジェイティービー
タリーズコーヒージャパン 他
確認日
2018.01.04

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