日本一小さな バス会社の挑戦

四国高速バス 社長 白川 統人さん

Interview

2016.12.15

高松市郷東町の四国高速バス

高松市郷東町の四国高速バス

瀬戸大橋が開通した1988年、四国高速バスは香川で路線バスを運行していたコトデンバス(現ことでんバス)、琴平参宮電鉄、大川自動車の3社による均等出資で誕生した。車両2台、乗務員はわずか5人の「日本一小さなバス会社」だった。コトデンバス出身の白川統人社長(74)は当時をこう振り返る。「日本で初めての高速バス専門の会社でした。所帯が小さいので、運輸省(当時)から長距離バスの許認可がおりるのに1年近くかかりました」

赤字を抱え、株主の3社に世話になりながらのスタートだった。高松と東京を結ぶ1路線で開業した四国高速バスは、約30年経った今では、横浜、大阪、名古屋、福岡など10路線を展開。車両は39台に、従業員は約100人になった。

大手バス会社との提携、パーク&ライド・・・・・・白川さんは大胆な発想力と行動力で、日本一小さなバス会社を西日本有数の高速バス会社に育て上げた。

アポなしで阪急バスへ

「私の唯一の良いところは行動力です。思い立ったらすぐ動くんです」

四国高速バスの最初の転機は1995年だった。白川さんはある日、アポイントメントも取らずに関西の大手・阪急バスに単身乗り込んだ。「日常的に香川と大阪の流動人口が多かったんです。当時、瀬戸大橋はありましたが明石海峡大橋はまだなかったので、時間は鉄道の倍近くかかる。でも、料金を半分でやりくりすれば、やれなくはないと思い立ちました」

将来的な高速道路網の整備も想定し、阪急バスに「一緒にやりましょう」と共同運行を持ちかけた。「やがて高速バスの時代が来る」「少しでも早く開業した方がいい」。強い信念で交渉を続けた。「阪急バスもちょうど高速バスに力を入れようとしていたところで、担当の企画課長と意気投合しました。でも、当時は阪神・淡路大震災の復興作業の真っ只中。大変な時期にも関わらず、実現を目指して力を注いでくれました」
高松ー大阪線の出発式=1996年4月15日 JR高松駅前のバス乗り場

高松ー大阪線の出発式=1996年4月15日
JR高松駅前のバス乗り場

読みは的中した。翌年の春から高松・大阪線が1日8往復走り始めると、たちまち大ヒット路線に。「どの便もお客様があふれ、積み残しの連続です。増便を繰り返しました」

その後、神戸、京都、関西国際空港と、京阪神方面への路線を拡大。会社の土台を築いた白川さんは次の策に出た。パーク&ライドだ。「当時は全国的に見ても、広大な駐車場を持ってパーク&ライド方式を採用しているバス会社は一社もありませんでした」

乗用車325台の無料駐車場を持つゆめタウン高松停留所=高松市上天神町

乗用車325台の無料駐車場を持つゆめタウン高松停留所=高松市上天神町

2002年、高松市のゆめタウン高松に、バスを利用すれば24時間無料で駐車できる停留所を作った。「市街地でバスが店先に停まるとなると、普通なら迷惑なのでやめてほしいと嫌がられるんです。でも、ゆめタウンを運営するイズミの会長が、『ぜひとも店の前で停まってほしい』と言ってくれたんです」


中央通り沿いの絶好の場所にある100台分の駐車場を提供してもらえた。その協力に応えて白川さんは、コトデンバスが運行する高松空港行のリムジンバスが、ゆめタウン高松でも停まるよう働きかけた。

駐車場は連日満車状態。2年後、325台が駐車できるまでに拡張すると、さらに利用者が増えた。05年には高松中央インター、09年には善通寺インターにもターミナルを開設。香川県の協力も得て、高松自動車道に高速バス用の停留所も設置した。

「お客様に喜んでもらえることをやっているだけです。喜んでもらえれば、お客様は必ず応えてくれます」

早く自立しなければ

元々はコトデンバスで、ダイヤ改正や事故処理、運行管理や労務管理を担当していた。若くして課長になり、将来の幹部候補とも噂されていた。しかし、ある日突然、新しくできる会社の支配人になれと命じられた。

「事業があって、人がいて、そこへ行け、と言われるのならまだ分かります。でも、何もない中での出向だったので、経営の経験もない私がどうして・・・・・・という気持ちでした」

資本金3000万円に対し、開業には1億円が必要だった。新会社の事務所はコトデンバス乗務員の休憩所を借り、停留所、車庫、燃料に洗車・・・・・・ほとんど全てを株主の会社に貸してもらった。

一刻も早く自立する。それが白川さんの目標となり、エネルギーとなった。「10年以内に自前の車庫と社屋を持つ。いつか他の会社が『貸してほしい』と頼みに来るような停留所設備を作る。そんなことをいつも考えていました」

1989年10月14日。記念すべき第1便が出発した。その時の光景は今でもはっきりと覚えている。定員29人、高松と新宿を11時間で結ぶ便だった。「予約状況は満席でした。でも、実際にお客様が来て乗ってくれるまでは不安で仕方なかった。お客様が乗ってバスが出た瞬間、『あ~、これでやっていける』と思いましたね」

99年10月14日、高松市郷東町に新社屋が竣工した。第1便が出発してからちょうど10年目のことだった。

座席表を手にして「ニコッ」

高速道路の整備と安価な運賃を背景に、高速バス業界は好調に推移していった。しかし、2000年以降の小泉内閣の規制緩和でバス事業者は激増。一方、少子高齢化の影響などで08年頃をピークに乗客数は全国的に減少傾向にある。「中でも私たちが持つ路線は全て、鉄道、飛行機、船とバッティングしている。競争が極めて激しいエリアです」

多くのバス会社が乗客の落ち込みに悩まされる中、四国高速バスは乗車率をほとんど落としていない。他社がやらない手法を白川さんは次々と取り入れてきた。

各ターミナルには常にスタッフを配置し、乗車券の販売や予約、乗降の案内など乗客へのサービスを徹底した。

バスの車両にはふかふかの鮮やかなじゅうたんを敷いた。「見た目もゴージャスになりますが、車内のエンジン音や振動がじゅうたんで吸収されるんです」。座席は全て特注し、ゆったり座れるように既製のものより幅を5センチ広くした。「3列あるので、合わせて15㌢を座席に割かなくてはなりません。正直大変ですが、5センチ違うだけで快適さは大きく変わります」

京阪神方面への路線はJR四国バスや阪急など大手を含めた4社で共同運行しているため、どのバス会社からもチケットが買えるが、「この20年、電話予約の本数で他社に負けたことはほとんどありません」。白川さんは胸を張る。

74歳になった。後継者の育成も急務だ。この先、業界はさらに厳しくなるのは分かっている。

「バスが出発する前、座席表が運転手に手渡されます。どの運転手も、お客様が多いとニコッと笑い、少ないと心配そうな顔をするんです」。そして、こう続ける。

「座席表を見て一喜一憂する運転手たちがいる限り、我が社は大丈夫。そう思えるんですよね」

編集長 篠原 正樹

白川 統人 | しらかわ おさひと

1942年 善通寺市出身
1965年 明治大学文学部 卒業
    高松琴平電気鉄道 入社
1984年 分社によりコトデンバスに出向
1988年 四国高速バスに出向
1989年 四国高速バス 支配人
1995年 取締役
2001年 代表取締役
写真
白川 統人 | しらかわ おさひと

四国高速バス株式会社

所在地
高松市郷東町176番地
資本金
3000万円
事業内容
一般乗合旅客自動車運送事業
従業員数
95人
保有車両
39台
運行区間
丸亀・高松-横浜/新宿/八王子、名古屋、福岡
高松-大阪、神戸、京都、関西空港、松山、高知など10路線
沿革
1988年 コトデンバス、琴平参宮電鉄、大川自動車の均等出資により四国高速バス株式会社 設立
1989年 高松-新宿線 運行開始
1999年 高松市郷東町に新社屋竣工
2002年 ゆめタウン高松停留所 開設
2005年 高松中央インターバスターミナル開設
2009年 善通寺インターバスターミナル開設
地図
URL
http://www.yonkou-bus.co.jp/
確認日
2018.01.04

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