源頼朝が征夷大将軍になり鎌倉幕府を置いたのは1192年ですが、それから遡ること36年前、崇徳上皇とその弟の後白河天皇が対立し、藤原摂関家も兄弟の争いから上皇方と天皇方に分かれ、ついに戦となります。これが保元の乱です。この乱は、後の平治の乱から源平合戦へと続く戦乱の始まりであり、王朝の貴族文化の終末と武家時代の幕開けを告げる事件でした。敗れた崇徳上皇は讃岐へ配流され、8年後の1164年、京へ帰ることなく46歳で崩御され、白峯寺の境内に葬られます。その霊は朝廷に対する深い恨みから怨霊になったといわれています。
上皇が崩御されてから3年後、和歌を通じた交流を持っていた西行法師が上皇を偲び白峯の御陵に詣でています。屋島合戦の18年前のことです。
この時の物語は、その後、室町時代に謡曲「松山天狗」として能で演じられ、この中で日本八大天狗の一つといわれる相模坊(さがんぼう)天狗が上皇の守護者として描かれています。また江戸時代に上田秋成が書いた「雨月物語」では、御陵にやってきた西行が読経をし、魂をなぐさめるために和歌を詠むと大魔王のような風をした上皇の霊が現れて会話をするという場面が描かれています。さらに、滝沢馬琴が、「椿説弓張月(ちんせつゆみはりづき)」の中で、保元の乱で上皇の側についた源為朝が上皇の霊に助けられながら琉球へ渡り、その子孫が琉球王になるという物語を書いており、その中で観音寺の琴弾八幡宮は為朝の妻・白縫(しらぬい)が登場する舞台となっています。
白峯を訪れ、鬱蒼とした木立の中の白い玉砂利が敷かれた御陵の前に立つと、上から何かに見られているような不思議な感じを体験することができるかもしれません。
歴史ライター 村井 眞明さん
- 多度津町出身。丸亀高校、京都大学卒業後、香川県庁へ入庁。都市計画や観光振興などに携わり、観光交流局長を務めた。
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歴史ライター 村井 眞明さん
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