あきらめずに 達成感のある仕事を

四国経済産業局 局長 吉川 雅之さん

Interview

2018.11.01

6月末に着任してすぐ西日本豪雨災害があり、四国管内では愛媛県が大きな被害を受けた。「被害に遭われた方に心からお見舞いを申し上げるとともに、復興推進室を設置して復興・復旧の力になれるよう取り組んでいきたい」

四国経産局の役割は、地域の企業を支え産業全体を底上げしていくこと。その時、県や市としっかり連携していくことが大事だと考えている。そう思うようになったのは、2005年に千葉県市原市に出向した時の経験が大きいという。

市原市は鉄鋼、石油化学など日本有数の企業の工場が並ぶ京葉臨海工業地帯にある。赴任当時、海外に生産拠点を移そうという動きが複数の企業であったが、市の担当課はその重大性をまだ認識していなかった。そこで、企業の課題にワンストップで対応できるよう工業振興課をつくるよう尽力。自らも企業を回り直接課題を聞くとともに、解決の足かせとなっている県や市の規制について、市長や担当課、関係機関などとじっくり議論した。時には隣の袖ケ浦市と連名で県に要望書を出した。苦労も多かったが、周囲と協力しながら取り組む中で、シンガポールに移転予定だったプラントが市原市に残るなど、達成感を感じる仕事ができた。

「昔、先輩に『できないことはない、というつもりで仕事をするように』と言われたことがあります。だから今でも「できない」とあきらめる前に、どうすればできるか考えるようにしています」

ボーイスカウトの経験が生きる

ボーイスカウトのリーダーとして(写真中央)

ボーイスカウトのリーダーとして(写真中央)

小学2年でボーイスカウトに入り、大学生まで活動を続けた。違う年齢の子どもたちが一つの班になりアウトドアや社会活動などを行う。小中学生の時は自分たちでかまどやトイレなどを作って1週間キャンプ、富士山にも登った。高校生の時は40キロほどの荷物を背負い、夏はアルプスを縦走、冬には雪中キャンプも行った。何度もやめようと思ったが、あきらめずに最後までやり遂げた達成感は大きかった。

「この経験が、自分のベースになっていると思います」。2001年の省庁再編に携わった時は、時代の変化を予測しながらどういう部署にどれぐらいの人員が必要かを考えるため、すべての課の業務を理解し分析した。「本当に大変でしたが、何とか乗り越えられた。自分のターニングポイントになった仕事です」

四国を知って、施策に生かす

夫婦で栗林公園へ

夫婦で栗林公園へ

キャリアのほとんどを東京で過ごしてきたため、地方への赴任は今回が初めてとなる。「今まで通勤に往復4時間かかっていたのが40分に。時間的な余裕ができたので、四国のことを勉強したいですね」。まずは「二十四の瞳」「世界の中心で、愛をさけぶ」や「UDON」といった地元が舞台の映画を観た。栗林公園ではボランティアガイドの知識に感動し、勉強を始めた。空海のことも調べている。「自然をはじめ、外から来て分かる四国の良さがあります。それを見極めて施策につなげたい」

自身が体験したり、実際に企業を回って得た情報。それに加えて「今は、地域の経済分析システムRESAS(リーサス※注)といったビッグデータもあります。それらを解析して、四国のために何ができるのか考えていきたいと思います」

(※注)地方創生を支援するため経済産業省と内閣官房が2015年リリース。産業、観光、まちづくりなどのデータが集約され、一般にも広く公開されている。

石川 恭子

吉川 雅之 | よしかわ まさゆき

1961年 東京都生まれ
1985年 日本大学法学部 卒業
    通商産業省 入省
    資源エネルギー庁総務課
1991年 英国留学(EJEF)
2005年 千葉県市原市理事(経済担当)
2009年 産業技術環境局知的基盤課計量行政室長
2011年 新エネルギー・産業技術総合開発機構 人事部長
2013年 大臣官房秘書課人事審査官
2017年 特許庁総務部会計課長
2018年 四国経済産業局長

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