米国留学が転機に

四国経済産業局長 長濱 裕二さん

Interview

2017.01.19

今回が初めての地方勤務と単身赴任。四国の印象は「観光スポットがたくさんあって、いろんな場所へすぐに行ける。休暇中に妻が来た時は、レンタカーを借りて松山、高知、鳴門にも行きました。四国っていいなと思いますね」

大学時代はサーフィン

サーフィンを楽しんだ大学時代

サーフィンを楽しんだ大学時代

体を動かすのが好きで、子どもの頃は野球や卓球、バスケットボールなどに取り組んだ。高校時代からはまったのがサーフィンだ。友人と先輩の影響で始めた。大学ではサークルに所属し、日本学生サーフィン連盟が主催する大会に出場していた。

1年中、千葉や茨城、神奈川などの海に通い、夏休みには1カ月ほど宮崎に滞在したことも。1番思い出に残る海はハワイだ。鉄工所やガソリンスタンドでアルバイトをして、遠征費に充てた。
愛媛県内子町を散策

愛媛県内子町を散策

「波にのっているのはわずかで、手で水をかくパドリングの時間がほとんど。体力勝負のスポーツです。サーフボードの上に立てるようになって、いろんなターンができるようになると楽しかったですね」

大学卒業後はすっかりサーフィンから縁遠くなってしまったそうだが「高知を訪れた時、学生時代に聞いたことのあるサーフィンスポットに行ってみました。確かに良い波が立っていましたね」

今はなるべく歩くことを心掛けている。「栗林公園の年間パスポートを買って散歩しています。おいしいラーメン屋さんがあると聞けば、そこにも歩いて行きますよ」

大変な仕事だからこそ達成感

大学では理工学部で熱力学を学んだ。機械全般に興味があり、通商産業省(現在の経済産業省)はメーカーに近い存在だと考えて志望した。

1989年9月から約1年間、米国のヴァンダービルト大学に留学した。安全保障について学ぶという省内の留学制度の1期生だ。留学経験は、その後の仕事にも大きく影響した。
米国のヴァンダービルト大学に留学していた頃

米国のヴァンダービルト大学に留学していた頃

交渉開始から合意まで約2年かかった、日米自動車交渉の担当になった。95年6月28日。日本の橋本龍太郎通商産業大臣(当時)と米国のカンター通商代表(当時)がジュネーブで合意したその日のことは今でも覚えている。2週間、ジュネーブに滞在して合意に向けた最終調整を行った。大変な仕事だからこそ達成感や感慨もひとしおだった。

合意の後、日本貿易振興機構(JETRO)のシカゴセンターへ。自動車交渉で取り決めた日米間の約束事をフォローアップするためだ。「駐在している日本企業や米国の地元企業の人たちとも付き合うことができ、人とのつながりの幅が広がりました」。家族も一緒に渡米していた。二人の子どもたちは英会話を習得できたため、今でも感謝されているという。

このほかシンガポールとの自由貿易協定(FTA)など、通商・貿易の仕事に長年携わってきた。

「四国博士」目指す

四国経済産業局長として、職員には「自分の担当分野では誰にも負けない知識を蓄えること、第一人者になることを目指してほしい」と話す。長濱さん自身も四国に赴任する前、先輩から「四国博士になれ」と言われた。

「ものづくりだけでなく、観光やスポーツの分野を盛り立てることも求められていると思います。まずは四国経済の成長に役立つような支援ができれば。頑張っている人を応援するだけでなく、一緒になって取り組みたい。職員一人一人が目標を持って進めば、それが大きな力になると思います」

長濱 裕二 | ながはま ゆうじ

略歴
1959年12月 東京都生まれ
1983年 3月 青山学院大学理工学部
      機械工学科 卒業
1983年 4月 通商産業省 入省
1997年 3月 独立行政法人日本貿易振興機構
      シカゴセンター 自動車部品部長
2008年 7月 経済産業省 産業技術環境局
      産業技術政策課 技術評価室長
2010年 8月 貿易経済協力局 貿易管理部
      安全保障貿易審査課
      統括安全保障貿易審査官
2012年 6月 貿易経済協力局 貿易管理部
      安全保障貿易審査課長
2016年 6月 四国経済産業局長

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