ケータイの進化とともに―“スマートライフ”の実現を目指して

NTTドコモ 四国支社 執行役員 四国支社長 須藤 章二さん

Interview

2012.01.05

去年6月にNTTドコモ四国支社長に就任した須藤章二さん。引っ越しを伴う転勤は11回目。父親も同じく転勤族だったため、幼少の頃から数えると、引っ越しの回数は実に20回近い。住まいを転々とする中で、すっかり習慣づいたことがある。それは、その土地その土地の、文化や歴史を知ること、感じることだ。

わずか4カ月で・・・

四国はもっと狭いのかと思っていました。電車に1時間も乗れば全部回れるのかと・・・でもなかなか遠かったです」。〝広さ〟を実感したのは、着任後まもなく始めた四国八十八ヶ所巡り。7月にスタートし、週末や、四国内のドコモショップを訪ねる合間を利用した。そして・・・「11月に結願しました」。何と4カ月余りでの結願。車も使ったとはいえ、あまりにも早いですね?「少しでも早く四国を直接、体で感じたかったんです。山深い霊場でケータイが繋がるかどうかも、ちゃんと確認しましたよ」

8月には、よさこい祭りの応援に駆けつけ、阿波踊りにも参加。会社の仲間約150人で連を結成し、踊り歩いた。着任半年余りでかなり四国を体感した。しかし、少し申し訳なさそうにこう話す。「四国4県には支店やショップが147店舗あるんです。そちらも早く回らなければいけないんですが・・・まだ結願していないんです(苦笑)」

写真が語る「物語」

趣味は写真。今はミラーレス一眼カメラ(ファインダーが電子式で鏡の部分をなくしたコンパクトなカメラ)を愛用している。「中学生の頃から始めたので、もう40年くらいになりますね。旅行先や出張先などいろんなところでバシバシ撮りますよ」

地域の歴史好きな須藤さんらしい写真の撮り方がある。「インターネットで古い写真や絵ハガキを買って、それと同じ場所を撮りに行くんです。時を経て、どう変わったか。歴史を感じられますよね」。戦前に使用され、その後火災で焼失した2代目の高松駅舎。1860年に作られた高さ27メートルの金刀比羅宮高燈籠。徳川11代将軍・家斉公が松平藩主・頼恕公に贈ったとされる栗林公園の根上り五葉松・・・。かつての姿と今の姿。比べることでさらに違った歴史が見えてくる。そして「一枚の写真をひも解いていくことで、〝物語〟も見えてくるんですよね。それが、写真が好きな一番の理由なんです」

想定外の「ケータイ時代」

電電公社入社後は、長く「移動体通信」に携わってきた。「当時は、まさか今のような時代が来るとは想像もしていなかったですね」

移動体通信事業部で自動車電話、船舶電話、衛星電話を担当し、全国の販売責任者も務めた。20万円の保証金が必要で、通話料が1分約100円だった自動車電話。「ついに電話が持ち運べるようになった。画期的だなぁ」と感じたショルダーホンは、重さが実に3キロもあった。そして、携帯電話第1号が登場した1987年当時には、こんなワンシーンがあった。「携帯電話に『ムーバルフォン』という愛称をつけようと幹部会議で提案したんです。でも、『変な名前をつけるな』と一蹴されました・・・」

その後登場する「ムーバ」、そして「FOMA」の立ち上げにも携わった。アナログからデジタルへ、携帯電話からケータイへ、須藤さんはまさに携帯電話の進化とともに歩んできた。スマートフォン時代を迎え、これからのケータイシーンはどうなりますか?

「ケータイひとつで全てのことができる『スマートライフ』を実現したいですね。変化は激しいですが、実現できないことはない、って思っているんです」。そしてこう加えた。「霊場巡りをして四国の広さを実感しました。私たちはサービス業でもありますが、インフラ業でもあります。どこでもケータイが使えるよう基地局も整備して、『地域の企業』として頑張っていきたいですね」

須藤 章二 | すとう しょうじ

略歴
1957年3月4日 群馬県安中市生まれ
1980年3月 東北大学経済学部 卒業
1980年4月 日本電信電話公社 入社
1986年8月 NTT 移動体通信事業部 移動体電話部主査
1996年4月 NTTドコモ 埼玉支店 販売部長
1997年1月 NTTドコモ 営業部 販売企画担当部長
2000年4月 NTTドコモ FOMA営業推進室 企画担当部長
2002年6月 NTTドコモ 営業企画部長
2004年6月 NTTドコモ九州 経営企画部長
2006年6月 NTTドコモ 販売部長
     (08年6月より執行役員)
2009年6月 ドコモ・ビジネスネット株式会社
      代表取締役常務
2011年6月 NTTドコモ 執行役員 四国支社長

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