なぜ香川には美しいものがたくさんあるのか (前編)

中條亜希子

column

2019.12.05

私が県外出身だからか、香川には暮らしの中に根付いた美しいものがたくさんあることに驚く。どの家庭にも漆の盆や器、嫁入り人形やうちわなどの工芸品がある。城下町だった街の中心部にはハイセンスな商店建築、県庁舎などのモダニズム建築とパブリックアート、少し歩けば大名庭園の栗林公園があり、商工奨励館や讃岐民芸館の中にもよいデザインを見つけることができる。古いものと新しいものが調和し風土に馴染んだ美しいものは、住む人だけでなく訪れた人の心も豊かにしてくれる。

日本一小さい県で、これほどたくさんの美しいものが生まれたのはなぜだろう。理由の一つに、漆芸と香川県工芸学校(現・県立高松工芸高)の誕生が挙げられる。江戸時代に生まれた讃岐漆芸の祖・玉楮象谷の作品は、明治に入って日本が正式参加したウィーン万博などにも遺作出品され好評を博し、香川漆器の名を世に知らしめた。その動きも影響し、香川の産業工芸振興のため明治31年に開校したのが香川県工芸学校だ。

初代校長の納富介次郎は、ウィーン万博に政府の技術官として派遣されたほか、図案集『温知図録』を発行するなど工芸事情に精通した国際人で、工芸が国を豊かにするという信念を持っていた。彼は東京美校(現・東京芸大)などから一流の教師を招き、工芸品“量産”のための軽微な機械を導入し、職人養成の教育をスタートした。ところが、校長はじめとする教師たちの芸術家的な雰囲気はたちまち生徒の憧れとなり、納富の思いとは裏腹に職人ではなく芸術家を志す生徒が増えてしまった。

初期卒業生の名簿には、帝展審査委員長になった小倉右一郎、ロダンの弟子となった藤川勇造、人間国宝の磯井如真など、日本の美術工芸界をリードした作家達の名が連なっている。香川の美しいものを生むための土壌はこうして育まれたといえる。

中條 亜希子 | ちゅうじょう あきこ

所属
高松市歴史資料館 学芸員

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