地元と共に200年 訪れる日本酒を造る

本家松浦酒造場 社長 松浦 素子さん

Interview

2016.10.06

徳島県鳴門市の本家松浦酒造場

徳島県鳴門市の本家松浦酒造場

人気銘柄の「鳴門鯛」。左端が「IWC2015」で最高金賞を受賞した「ナルトタイ 純米 水ト米(みずとこめ)」を進化させた純米原酒

人気銘柄の「鳴門鯛」。左端が「IWC2015」で最高金賞を受賞した「ナルトタイ 純米 水ト米(みずとこめ)」を進化させた純米原酒

世界一の称号を持つ日本酒が徳島県鳴門市にある。昨年、イギリスで開催された世界最大級のワインコンテスト「IWC(インターナショナル・ワイン・チャレンジ)」の純米酒部門で、本家松浦酒造場の「ナルトタイ 純米 水ト米(みずとこめ)」が最高金賞に選ばれた。「受賞の連絡をもらった時は『何のこと?』という感じで、ただただびっくりしました」
本家松浦酒造場は、1804年創業の徳島県最古の酒蔵だ。10代目蔵元の松浦素子さん(52)は松浦家に生まれたが、幼い頃、両親の離婚に伴って母親と共に生家を離れ、以来、日本酒とは無縁の世界を生きていた。しかし、思いがけない巡り合わせで家業を継ぐことになった。

社長になって4年半が過ぎようとしている。200年の歴史に押しつぶされそうになることもある。「与えられた試練を乗り越えられないことはない」と言い聞かせ、自らを奮い立たせる。

日本酒が地元の誇りになり、人々の暮らしを豊かにする。松浦さんはそう信じ、地元で愛される酒蔵を目指して日々邁進する。

日本酒ファンを増やすために

四国八十八ヶ所第1番札所・霊山寺近くにある本家松浦酒造には毎月第3土曜日、地元や県内外から大勢の人が集まってくる。

酒蔵の中庭には長机とパイプ椅子で即席のカウンターバーが作られ、大吟醸、純米、生酒など様々な日本酒がところ狭しと並ぶ。3年前から行っている「たちきゅう」だ。語源は「立って酒をきゅうっとやる」。高度成長期、仕事帰りの労働者の間でよく見られた光景で、集まった人たちは酒を酌み交わしながら賑やかに語り合う。「蔵の歴史を感じながらお酒を味わって欲しい、会話しながらお酒の楽しみ方を伝えていきたい、という思いで始めました」

人気銘柄の「鳴門鯛」は飲みやすさと、口に含んだときに広がるお米の旨味が最大の特長だ。昨年、IWCで最高金賞を受賞した際も「so smooth」「easy to drink」と高く評価された。「たちきゅうのお客さんは半分が女性です。女性に飲みやすいお酒というのも強く意識しています」

日本酒離れが進んでいると言われて久しい。昭和50年頃のピーク時には全国に約2500の酒蔵があったが、今では半分以下に減っている。日本酒ファンを増やさなければ立ち行かなくなる。そこで松浦さんが目指したのが、「人が集まる酒蔵」だった。

本家松浦酒造の向かいには、同じく約200年の伝統を持つ醤油蔵がある。コラボレーションしませんかと持ちかけ、酒蔵と醤油蔵をセットで巡る「Kura&Kura見学」を3年前に始めた。母屋の一角を改装して店舗も作った。日本酒についての知識や歴史を学べる「酒の寺子屋」も定期的に開いている。

蔵の周辺には四国霊場や地元が誇る伝統工芸品「大谷焼」の窯元、第一次大戦時のドイツ人俘虜収容所の資料などを展示したドイツ館もある。「様々なスポットと一緒に大きな渦を作っていければと思っています」

これが私の運命

「自立した女性になりたいという思いが強かったんです」。大学卒業後は日本語ワープロソフト「一太郎」のヒットで急成長していた地元徳島のITベンチャー・ジャストシステムに入った。受注管理センターやネットサービスセンターなど新規事業の立ち上げを次々と任され、約15年勤めたのち、東京のIT企業に転職した。無線LAN装置の企業向け営業など充実した日々を送っていたが、ある時、「ITの分野では、私にできることはもうやり終えたなあと思ったんです」

50歳を前に、今後の人生をどう生きていこうかと考えていた頃、偶然、本家松浦酒造を継いでいた兄と再会した。転職を考えていると相談したら、「じゃあ帰ってくれば?」と誘われた。「最初は、一体何を言ってるの?という感じでした」

両親が離婚してから、実家とはほぼ音信不通状態だった。家に戻るという選択肢は全くなかった。だが、「これまでの経験が少しでも役に立つのなら」という思いが生まれ、兄をサポートするつもりで帰郷を決めた。

正直、日本酒は嫌いだった。「飲んだ後、甘ったるくてベタベタするという印象がありました」。あまり飲んだこともなかったため、まずは知識をつけようと半年かけて約100種類、手当たり次第に飲んでみた。すると、「今の日本酒がとても美味しくなっていることにびっくりしたんです。かつて抱いていたイメージとは全く違っていました」

実家に戻り3年が過ぎた頃、驚きの展開が待っていた。兄が別の会社を立ち上げて独立した。「私に社長をやってほしいという話になったんです。絶対に無理だと必死で抵抗しました」。しかし、酒蔵や日本酒の魅力に惹き込まれていることを実感していた。この魅力をたくさんの人に伝えたいとも思った。「引き受けられるのは自分しかいない。これが私の運命だ」と腹をくくった。

日本酒で幸せに

酒蔵の経営は決して順風ではない。200年の伝統を背負うプレッシャーも想像以上だった。「社長になってからは苦労と挫折の連続だ」と時折、声を詰まらせながら振り返る。

つらくなった時は海を見に行く。「海ってとても広くて様々な表情を持っているじゃないですか。眺めていると自分の悩みなんて本当にちっぽけに思えるんです」。そして、こう続ける。「日本酒の歴史と文化とこの酒蔵、全てを左右することをやらせてもらっている。その責任とやりがいを日々感じています。もっともっと成長しなければと心底思うんですよね」

ここ数年、力を入れているのが海外展開だ。アメリカ、イギリス、香港やシンガポールなどで鳴門鯛やリキュール類の販路を年々拡大している。「先日もロンドンの展示会に出展してきました。和食への関心が高まっていることもあり、日本酒を美味しいと言って飲む外国人も増えている。伸びしろは十分にあると感じています」

海外を見据えながらも、基本は地元にあると松浦さんは繰り返す。「社長になって最初に考えたのは、この場所で200年続けてこられたことの意味です。地元に支えてもらったからこそ今があると思っています」
毎月第3土曜日に行っている「たちきゅう」(4月~10月に開催)

毎月第3土曜日に行っている「たちきゅう」(4月~10月に開催)

たちきゅうやKura&Kura見学で、今では年間に1500人を超える客が蔵に来てくれる。これまでは工場の中で酒造りに没頭していたスタッフも、客に目の前で「美味しい」と言ってもらえる体験ができるようになった。ある客がこう言った。「蔵人に『いらっしゃいませ』と迎えられたのは初めてです」。最近、スタッフの酒造りへの意識が変わってきたと松浦さんは目を細める。

地元の高校生が先日、見学に来てくれた。「みんなが育ったこの土地で生まれたお酒が全国や世界に向けて発信されている。大人になったら鳴門鯛を飲んでみてね」と呼びかけると、「絶対飲みます!って大いに盛り上がったんです。こんなにうれしいことはなかったですね」

お酒を飲むのは年にほんの数回だった。しかし、今では「美味しい食事をいただくと、お酒が飲みたくてたまらなくなるんです」

日本酒は食を豊かにする。食が豊かになれば暮らしはもっと豊かになる。自分自身が実感するからこそ、力を込めて話す。「ぜひいろんな日本酒を飲んで、自分に合う日本酒を見つけてほしいんです。だって美味しさって本当に幸せな気分にしてくれるじゃないですか」

編集長 篠原 正樹

松浦 素子 | まつうら もとこ

1964年 徳島県鳴門市生まれ
1988年 帝塚山学院大学日本文学科 卒業
    ジャストシステム 入社
2003年 トリニティーセキュリティーシステムズ 入社
2009年 本家松浦酒造場 入社
2012年 代表取締役
写真
松浦 素子 | まつうら もとこ

株式会社 本家松浦酒造場

所在地
徳島県鳴門市大麻町池谷字柳の本19
TEL:088-689-1110/FAX:088-689-1109
創業
1804年(文化元年)
資本金
1000万円
従業員
20人
杜氏
松浦正治(自社杜氏)
酒名
清酒「鳴門鯛」
リキュール「本家松浦」「しゅムリエ」他
関連会社
株式会社本家松浦酒造販売
地図
URL
http://narutotai.jp/
確認日
2018.01.04

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