地域の発展に役立つ“道”をつくる

西日本高速道路株式会社

column

2025.01.30

善通寺―三島川之江間 開通

善通寺―三島川之江間 開通

戦後の復興期から高度経済成長期へと移りつつあった1956年に、日本道路公団が設立された。これが西日本高速道路の前身である。同年に、政府の招きで来日したアメリカの経済学者・ワトキンスを団長とした高速道路調査団は、その調査報告書で工業国としての日本の道路整備の遅れを指摘した。これがきっかけとなり、高速道路整備への機運が高まった。

その後、1963年に名神高速道路 栗東―尼崎間で日本初の高速道路が開通し、1965年には名神高速道路全線開通、1969年には東名高速道路全線開通と、全国で整備が進んでいった。一方で四国ではその時期、大野原―川之江間の基本計画が決定したばかり。高速道路の整備は地域の発展に欠かせないだけに、このままでは四国が取り残されるという思いが関係者にはあったという。

高速道路の整備と分けて考えることはできないのが、同時期に計画が進んでいた瀬戸大橋の建設。1970年に本州四国連絡橋公団が設立され、1977年に児島・坂出ルートが決定した。のちに発行された「高松自動車道建設史」(発行・四国地方整備局ほか)の冒頭で当時の真鍋武紀香川県知事は「瀬戸大橋が生きるも死ぬも道路次第」という平井前知事の言葉を紹介し、関係者の強い信念を伝えている。

高速道路整備には、計画・調査から用地買収、山地が多い地域での難しい工事など様々な困難が伴う。関わった多くの人たちは、「高速道路、瀬戸大橋、新高松空港」という当時の三大プロジェクトの一つに関わるやりがいを感じると同時に、様々な苦労を重ねた。
四国の高速道路発祥の地 記念碑

四国の高速道路発祥の地 記念碑

香川に初めて高速道路が開通したのは瀬戸大橋が開通する前年の1987年、高松自動車道 善通寺―三島川之江間。日本初の高速道路開通から20年あまりたっていた。以降、少しずつ区間が伸び2003年の高松中央―高松西区間の開通によって、総延長122.2kmの高松自動車道が全線開通した。この間、企業の誘致や大型店舗の出店、高速輸送による農林水産物の販売拡大などが進み、高速道路は重要なインフラとして地域の産業発展を支えた。現在、四国の高速道路は483km、高松自動車道は1日2万4100台の交通量を数える。

近年は、高速道路に求められる役割も変わってきた。例えば、ドライバーの安全性や快適性の向上。高松市内区間の高架橋は、彫刻家・流政之氏の作品がモチーフとなった橋脚
デザインを採用。橋げたの底面を大きくカットしてドライバーに圧迫感を与えないように工夫され、周囲の景観とも溶け込むようにつくられている。また、渋滞緩和や移動時間の短縮、物流機能の強化などを目指した「4車線化」も進められている。

西日本高速道路は、人、物、文化をつなぐ高速道路の安全・安心を守り地域の発展に貢献してきた。今後100年先の未来に向け、高速道路の進化に挑み続ける。

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