思わず手に取ったのは『観光高松大博覧会誌1950』。今の高松市民が当たり前のごとく通っている幅員約36メートルの中央通りを、焦土と化した時代に当時のリーダーたちが戦後復興の第一歩として創ったという記録本である。
戦後、不幸な出来事から立ち上がった人たちが、同じ街を復旧するのではなく新しい街づくりを考えた。その起爆剤が「観光高松大博覧会」であった。1949年3月20日開催、戦後4年足らずのことである。46年には南海地震もあった。主催は香川県と高松市、期間は2カ月、会場になったのは中央グラウンド、今の中央公園と栗林公園辺りである。全国から集まったパビリオンは国産館から観光館・農業館・自動車館等。これらが後に街のインフラとなり中央通りができた。
博覧会開催は、全国各地の製品と新文化の粋を一堂に集め想像以上の成果を収めたと記録されている。その中には、「世論の支持なくしては成功は望み難く」、「市民との連絡には万全を期し配慮もした」とある。当時の高松市長、国東照太氏は本の序に、「戦いは颱風の如く地上のすべてをさらって過ぎ去った・・・・・・窮乏と昏迷の中にも人心に道標を示した」と記している。当時の人たちは、目先のことより未来の社会に期待した。それは、切なる希望でもあった。
今、中央通りは「緊急輸送道路」となり、1981年5月31日以前に着工された道路沿いの建築物には耐震診断・耐震改修等の補助金制度もできた。しかし、市内にはまだまだ、救急車や消防車等の緊急車両が通れない地区や道路が残されている。予想される地震、災害を前に、都市計画も「復興・繁栄」から「防災・減災」を優先する時代に変わった。家族や地域を守ることは、市民みんなの願いだ。未来の子どもたちに、安全・安心な街を残すために、戦後復興に大きな政治決断で臨んだ先輩たち、また、それに協力した市民たちの決意と願いを、今一度、考えたいと思う。
宅地建物取引士 リアル・ピット株式会社 代表取締役 金森 幹子
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