鎌田郁雄さんと四谷シモンの人形

永見 宏介

column

2019.07.04

出版された「病院ギャラリー ―717days 2001-2003」の表紙

出版された「病院ギャラリー ―717days 2001-2003」の表紙

二十世紀最後の年、宮城県美術館をはじめとする全国5カ所の美術館で開催された四谷シモン人形展。出品作品の数々を巡回後どうするかという相談を、展覧会をお世話していた佐野画廊主宰・佐野眞澄さんから持ちかけられた。

たまたま伊予三島(現在の四国中央市)に、新築移転のため使われなくなった整形外科病院の建物があった。展示の場として借り受けられないか、義父である院長に頼んでみることにした。古い病院施設をそんなことに使えるのか誰も想像できなかったが、快諾してくれ翌年から展示できることになる。ただ、予約制の一般公開としたため、予約が入る度に私は高松から高速道路をとばし鍵を開けに行かなければならなかった。

シュールな人形として特徴的なシモンの人形は、病院の殺風景な廊下や階段は元より、診察室や病室にしっくりとはまった。特に手術室に置かれた内臓が露わになった作品は、あまりにもリアルな空間展示だった。当時NHKの「日曜美術館」でも取材され、密かな話題を集めたが、老朽化した建物に改修工事が必要となり、展示を終了せざるを得なくなる。そんな折、偶然観に来られた鎌田醤油の鎌田郁雄社長(当時)が、公益財団法人鎌田共済会が所有する建物「淡翁荘」を終の住処にと提案した。淡翁荘は1936年に淡翁・鎌田勝太郎が迎賓館として建築した2階建ての洋館で、調度品の中には大正期を代表する家具デザイナー・森谷延雄の貴重なオリジナル作品もある。幻想的な雰囲気がピタリと合う場所だった。四谷シモンも、人形たちが同じ四国の縁ある場所で暮らせることを喜び、話はトントン拍子で進む。最高の居場所だと関係した皆が安堵した。

こうして717日間の病院での療養生活(?)を終え、坂出駅前のハイカラな住処へと人形たちの引っ越しは実現した。以来、鎌田ミュージアムの一つ、淡翁荘「四谷シモン人形館」として多くの愛好家が足を運び続けている。

鎌田さんの訃報を新聞で知り、当時のことを振り返る。人形たちも主人の居なくなったことをさぞや悲しんでいるだろう。

桜製作所 社長 永見 宏介

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桜製作所 社長 永見 宏介

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