心・技・体で世界に響く音

和太鼓集団 夢幻の会 主宰 奥村 文浩さん

Interview

2015.03.05

「こんばんは」のあいさつと共に、子どもたちが元気よくやって来る。暖房設備はなくとも、道場には熱気があふれる。演奏が始まると和やかさは一変し、張り詰めた雰囲気に。真剣な面持ちで和太鼓に向かう子どもたち。曲調によっては、はじけるような笑顔を見せる。威勢のいい掛け声と、体に響く音が心地良い。

毎週月・水・金曜日は、和太鼓集団夢幻(むげん)の会の練習日。主宰は奥村文浩さん(54)。奥村さんは高松市の職員として働きながら、夜間や休日に和太鼓の指導をしている。

30年ほど前、町おこしのためにと町長の発案で始まった国分寺の和太鼓。旧国分寺町役場に勤めていた奥村さんを中心に、20~30代の若者が集まって練習を始めた。ちょうどその頃、国分寺町に隕石(いんせき)が落下。それをきっかけに「いん石流れ打ち」という和太鼓のための曲が作られた。和太鼓グループは練習に励み、国分寺町内の成人式や老人会などで演奏を披露していた。

奥村さんは和太鼓に打ち込む一方で、ウインドサーフィンの選手としても活動。一時、和太鼓から離れ、ウインドサーフィンに専念することに。27歳で全日本チャンピオンとなり、31歳で世界選手権に出場。世界選手権でも入賞するものと思っていたが、納得のいく結果は残せなかった。「一流の選手ではないかもしれないが、一流のコーチになれるのではと声を掛けてもらい、引退を決めました」。指導者となり、世界で活躍する選手を育成した。

再び和太鼓の世界に戻ってきたのは、「いん石流れ打ち」を伝承していきたいとの思いがあったから。2000年に夢幻の会を設立。自分の思いが夢や幻となって消えないよう、戒めの気持ちを込めて夢幻と名付けた。「3年ほどでやっと形になりましたね」。設立当時のメンバーは大人ばかり。妻の「子どもには教えないの」という一言がきっかけで、「こども太鼓」が始まった。

現在、大人12人、子ども30人以上が所属している。「和太鼓の音を聴くと、誰しも何か感じるものがあるのでは」。徹底して反復練習を行い、指導は厳しい。体が覚えるまで同じリズムでたたき続ける。

「続けるうちに、太鼓本来の音が出せるようになります。また、練習を繰り返す中でその子らしい個性がふっと生まれるんですね。褒めて伸ばすことはしません」。ただ、子どもたちの演奏を聴いて思わず涙ぐむことがあるそう。教えながら、子どもに教えられていると感じることもある。

学校生活が楽しいか、規則正しい生活をしているか、心や体の状態が演奏に影響する。「腕力があっても上手に演奏できるものではありません。バランスの取れた心と体が必要。心の中に芯があるようなイメージですね」
この日披露してくれたのは2曲。「いん石流れ打ち」は、たんたかたんたかたんたか・・・という三(み)つ打ちと呼ばれるリズムが特徴的。太鼓を7つ並べ、打ち手は流れるように隣の太鼓へ移動しながら演奏する。「宇宙(そら)の石」は、愛知県に拠点を置くプロの和太鼓集団「志多ら」が、夢幻の会のために作曲したものだ。

毎年11月に単独公演を開催しており、イベントへの出演も合わせると年間60~70公演ほど行っている。しかし、14年は126公演と、例年の倍ほどをこなす人気ぶり。そして舞台は日本にとどまらない。3月17日から24日は、タイのバンコクで演奏を披露する予定。夢幻の会の演奏は聴く者の心を打ち、その音は世界に響く。

奥村 文浩 | おくむら ふみひろ

1960年12月 高松市国分寺町生まれ
1983年3月 大阪学院大学 卒業
1984年4月 旧国分寺町役場 勤務
2000年9月 和太鼓集団夢幻の会 設立
2006年1月 市町合併により高松市職員
写真
奥村 文浩 | おくむら ふみひろ

和太鼓集団 夢幻の会

所在地
高松市国分寺町福家甲3141−6
TEL
087-874-9980
確認日
2018.01.04

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